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ワクチンをめぐる「差別」の危険な勘違い
この定義は主に人種、ジェンダー、性的指向、出身地、身体的な特徴、宗教、階級、健康状態など、特定の属性を持つ人に対しての排除行為、否定行為を指すものとして用いられる。現代社会になってから注目され、問題視されてきたもので、社会の改善すべき点を指摘するときに用られることが多い。これらの分野において、個人に対する不当な区別はあってはならない! 今も続いている議論や運動、教育が長い時間をかけた末、その認識はやっと広く普及してきているのだ。
今の時代には、差別の話をするときは大抵、後者の定義に沿うことが多いだろう。しかし、ここでは、前者の定義も使いたいので、わかりやすくするため、ここで不当な差別を「差別」と表記させていただこう。つまり、妥当な区別は差別。不当な区別は「差別」として使い分ける。はい。紛らわしいです!
でも、この紛らわしさに気付いていただくのが、今回のコラムの目的だ。
「差別」への誤解が無用な反発を生む
メディアや世論はワクチン接種者と非接種者への待遇の違いを差別として取り上げ、語ることが多い。だが、その差別が「差別」かどうかの解説はほとんどない。この傾向には強い危機感を覚える。
多くの人々は、差別と聞くと「差別」をまず思い浮かべて、「あってはならない」と条件反射的な反応をする。それを狙って、そうした言葉遣いを選んでいる計算高い発信者もいるようだ。そこで「どちらの『差別』なんだろう」と検証しないといけないことに聞き手が気付けばいいが、そんなリテラシーの高いメディアユーザーは、このコラムの読者ぐらいしかいないだろう。
だから、誤解を招かないように、発信者は責任を持って区別という意味での差別という言葉をなるべく使わないべきだ。そうしないと、差別を「差別」と勘違いし、妥当かつ有意義な政策や対策に反発を呼び起こしかねない。
もちろん、ワクチンの接種者と非接種者の取り扱いの違いが不当であることもあり得る。例えば、アレルギー体質などの身体的な理由で接種ができない人に対する排除行為、否定行為、いやがらせ、いじめなどはきっと「差別」となり、なくすべきことだろう。啓発活動も、接種と同等の権利が得られる制度の策定も必要だと思う。
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