撮影15年、編集5年、原一男監督の新作『水俣曼荼羅』
原一男監督の新作『水俣曼荼羅』
<『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督の新作。水俣病を題材に撮影に15年、編集に5年を費やした3部構成、6時間12分の大作>
『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督の新作『水俣曼荼羅』は、水俣病を題材にした3部構成、6時間12分の大作だ。撮影に15年、編集に5年を費やしたという本作では、いまだに裁判がつづく水俣病の現実が様々な角度から掘り下げられていく。
前回のコラムで取り上げたのは、フレデリック・ワイズマン監督の『ボストン市庁舎』というやはり長尺のドキュメンタリーだったが、2作のスタイルは見事に対照的だといえる。
ワイズマンは、撮影の段階では観察に徹し、編集の段階で独自の視点を形作っていく。完成した作品には、インタビューもナレーションもテロップもないが、緻密な構成によって断片が結びつき、彼が見出した民主主義の核心がしっかりと浮かび上がってくる。
これに対して、原監督は、時間をかけて対象である水俣病患者や研究者と信頼関係を築き、彼らに寄り添い、内面まで炙り出そうとする。本作では、テロップも使用されているし、たくさんのインタビューが盛り込まれている。しかも、ただ話を聞くだけでなく、監督が自ら提案して、意外性に満ちた舞台まで用意してしまう。
小児性水俣病患者の生駒さんが、単独のインタビューで自身の結婚や新婚旅行のことを楽しそうに語れば、今度は生駒さん夫婦を新婚旅行で行った温泉の旅館に誘い、くつろいだ雰囲気でインタビューを行う。水俣病の象徴のような役割を担う胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが恋の話をすれば、彼女を叶わなかった恋の遍歴をたどるセンチメンタル・ジャーニーに誘い、好きになった男性たちを交えてインタビューする。そんなふうにして彼らから豊かな表情や感情を引き出してみせる。
水俣病とは何なのかをあらためて考えさせる
そしてもうひとり、本作のなかで違った意味で異彩を放っているのが、水俣病を研究する熊本大学医学部の浴野教授だ。その研究を通して患者や裁判と深く関わり、水俣病とは何なのかをあらためて考えさせるヒントを与えてくれる人物でもある。
本作は2004年、政府解決案に応じることなく、認定を求めて裁判を継続した関西訴訟の最高裁の判決が確定するところから始まる。その判決では、浴野教授と二宮助手が発表した水俣病のあらたな病像論が認められ、認定基準となっていた「52年判断条件」が覆されることになった。
「52年判断基準」は、感覚障害に加えて、運動障害や平衡機能障害や視野狭窄など複数症状の組み合わせを基本要件とし、それを満たさなければ健康被害を受けていても未認定患者として切り捨てられてきた。その感覚障害がこれまでは末梢神経の障害とされてきたが、浴野教授は、大脳皮質の感覚をつかさどる部分が損傷する中枢神経の障害であることを証明した。つまり、感覚障害は水俣病の典型的な症状で、それだけで水俣病と認めることができる。
本作では、特殊な器具を使った指先や唇の感覚を調べる検査、脳や末梢神経を調べる検査などが時間をかけて映し出され、末梢神経は正常で、脳の限られた部分に損傷があり、しかも脳が病因であるために患者自身には感覚が損なわれていてもなかなかわからないことなどが明らかにされていく。
そんな病像論の見地に立てば、これまで認定されてきたのは、医学的に誤った診断に基づく「水俣病」ということになる。
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