アメリカ文明の小宇宙としての図書館『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
次は、舞台芸術図書館に劇場の手話通訳の第一人者を招き、実演を行う企画。これは奴隷制とは無関係のように思われるだろうが、図書館のスタッフの提案で、独立宣言が通訳の実演に使用される。しかもスタッフは、その独立宣言について以下のような説明を加える。
「この図書館の"最高"の所蔵品の1つがジェファーソンが書いた独立宣言の写しです。大陸会議にかける前の草稿で、そこには奴隷制度を非難する箇所がありましたが、南部の支持を得るため本稿からは削除されました」
つまりここでは、そんな背景を踏まえて「人は平等であり〜」という文言が通訳される。そして、ジェファーソン・マーケット分館で行われる19世紀半ばの奴隷制と労使問題に関する女性研究者のレクチャーによって、埋め込まれたテーマがより明確になる。彼女は、奴隷制が北部の白人労働者に及ぼす影響を、マルクス、リンカーン、南部主義者がそれぞれどうとらえていたのかをもの凄い勢いで語る。そのなかでも特に興味深いのは、以下のような言葉だ。
「次は、現代においても重要な問題です。南部主義者は非常に辛辣に近代社会を批判しました。それは1840年代に多くの支持を得ます。ジョージ・フィッツヒューは著名な社会学者で南部主義者でした。彼は奴隷社会が自由労働社会より優れていると考えました。彼は本を書きました。題は『主人のない奴隷』。その要点は、北部の労働者は主人のいない奴隷である。奴隷が主人を失うとこうなるのだ」
実はこれは、筆者が『グリーンブック』を取り上げたときに書いたことと繋がっている。筆者は、歴史学者デイヴィッド・R・ローディガーの『アメリカにおける白人意識の構築──労働者階級の形成と人種』を参考にして、主人公のひとりであるトニーの差別意識の起源を掘り下げた。それがまさに19世紀半ばであり、奴隷と同一視され、白さ以外のすべてを失うことを恐れた北部の労働者たちは、自分たちより下位の他者との間に一線を引いていった。
この女性研究者のレクチャーには、奴隷制という歴史と現代との繋がりを想像させる要素がちりばめられているが、その視点は終盤にタナハシ・コーツのトークが盛り込まれていることと無関係ではない。コーツが具体的に奴隷制に言及することはないが、全米図書賞を受賞した彼の『世界と僕のあいだに』を思い出してみれば、接点が明らかになる。
父から息子への手紙というかたちで、黒人が白人のアメリカを生き抜く術を伝える同書には、これまで抽出してきた断片のまとめにもなりそうな表現がいくつもある。
「問題にすべきは、リンカーンが本心から『人民の政治』を意味していたかどうかではなく、この国が歴史を通じて『人民』という政治用語で実際には何を意味してきたかなんだ。一八六三年当時、それはお前のお母さんやおばあちゃんを意味してはいなかったし、お前や僕を意味してもいなかった」
「肌の色や髪に優劣があるという信条や、肌の色や髪の違いという要因があってこそ社会を正しく組織することができるし、その要因は消せない特徴を表しているんだという観念----こうした信条や観念は新しい考え方なんだよ。自分たちは『白人』だと信じるように育てられてしまった新しい人民の心の中にある新しい考え方なんだ」
さらに、本作のラストの直前では、ハーレム地区の分館を黒人文化研究図書館の館長が訪れ、黒人の住民たちが抱える問題に耳を傾ける様子が映し出される。その対話のなかでも特に印象に残るのが、ウソが書かれた教科書の話題だ。その教科書では、黒人奴隷が「移民労働者」と書かれ、館長もその事実を認め、言語道断だと語る。
アメリカにはふたつの民主主義がある
このように抽出した断片を通して見えてくる奴隷制から現代に至る流れは、決して偶然から生まれるものではない。ワイズマンはアメリカ全体に関わる奥深いテーマから、アメリカを代表する公共図書館の意味を見直している。
あるいは、このような言い方もできるかもしれない。アメリカにはふたつの民主主義がある。ひとつは、コーツの『世界と僕のあいだに』で、「アメリカ人は民主主義を神のように崇める」と表現される民主主義。それがどういうものであるのかは、先の引用から察せられるだろう。もうひとつは、『シビックスペース・サイバースペース』で、「その社会が真に民主主義社会であるかどうかの品質保証をするものが公共図書館」と表現される民主主義。本作では、そんなふたつの民主主義がせめぎ合い、社会における公共図書館の重要性が浮き彫りにされている。
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