コラム

「脱人間化の極限」に抵抗するアウシュビッツのゾンダーコマンドの姿に深く心を揺さぶられる

2016年01月08日(金)16時00分

 そこで参考になるのが、ゾンダーコマンドだった生存者シュロモ・ヴェネツィアの体験をインタビュー形式でまとめた『私はガス室の「特殊任務」をしていた』(原題は"Sonderkommando")だ。ヴェネツィアは作業の内容を知らされないまま選抜され、それがわかった時には逃げ場がなくなっていた。そして、以下のように語っている。


一、二週間すると、結局慣れてしまいました。すべてに慣れました。むかつくような悪臭にも慣れましたね。ある瞬間を過ぎると、何も感じなくなりました。回転する車輪に組み込まれてしまった。でも、何一つ理解していない。だって、何も考えていないんですから!

 ネメシュ監督は、死を生産する工場とゾンダーコマンドの精神状態を踏まえ、独自の映像表現を駆使する。収容所には連日、列車で多くのユダヤ人が移送され、労働力になる者とそうでない者に振り分けられ、後者はガス室に送られる。サウルは、後者となった同胞たちの衣服を脱がせ、ガス室へと誘導し、残された衣服を処分し、金品を集める。扉が閉ざされたガス室は阿鼻叫喚に包まれる。虐殺が終わると、ガス室の床を清掃し、死体を焼却場に運び、灰を近くの川に捨てる。

 だがこの映画では、そんな生々しい光景が直接的に映し出されることはない。画面は横幅の狭いスタンダード・サイズで、視界が限定される。サウルはまったく表情を変えずに黙々と作業を続ける。カメラはそんな主人公に焦点を合わせ、被写界深度の浅い映像を用いているため、周囲にある死体などはぼやけている。それでも恐ろしいシステムは十分に想像できるし、思考が停止し歯車となった人間の暗示にもなっている。

 虐殺の証人でもあるゾンダーコマンドはやがて抹殺される運命にあるが、作業に従事している間は比較的優遇され、ある程度の範囲を動き回ることが許された。そこから、繰り返しとは異なるふたつの変化が起こる。ひとつは計画的な武装蜂起だ。これは史実に基づいている。そしてもうひとつは、ネメシュ監督が盛り込んだフィクションだ。

 虐殺が終わったガス室のなかで、まだ息がある少年が発見される。その少年はサウルの息子らしい。少なくとも彼はそう主張するが、彼の仲間の言葉を信じるなら、彼には息子はいない。ナチスの軍医は容赦なく少年を殺してしまうが、サウルはその死体が焼却されないように隠し、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出して教義にのっとった祈りを捧げ、手厚く埋葬しようと収容所内を奔走する。

ネメシュ・ラースロー監督の長編デビュー作『サウルの息子』
,

 この映画の後半では、武装蜂起と埋葬のために奔走するサウルのドラマが絡み合い、対置されていく。そこで普通なら私たちの関心は武装蜂起というサバイバルに引き寄せられるところだが、この映画では違う。システムの歯車となったサウルは、息子と思しき少年を通して、単に人間性に目覚めるだけではない。彼は、死を生産物にしてしまうシステムに抵抗している。ジョージ・リッツアが「合理性の非合理性の極地」や「脱人間化の極限」と表現したホロコーストに抵抗している。だから私たちは、彼の行動に引き込まれ、深く心を揺さぶられるのだ。


●参照/引用文献
・『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツア 正岡寛司監訳(早稲田大学出版部、1999年)
・『私はガス室の「特殊任務」をしていた――知られざるアウシュヴィッツの悪夢』シュロモ・ヴェネツィア 鳥取絹子訳(河出書房新社、2008年)

●映画情報
『サウルの息子』
監督:ネメシュ・ラースロー
公開:1月23日から新宿シネマカリテほか
(c) 2015 Laokoon Filmgroup

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米、連邦基準準拠の身分証ない国内線搭乗者に45ドル

ビジネス

米テスラ、11月も欧州で販売低迷 仏などで前年比6

ビジネス

米感謝祭後3日間のオンライン売上高236億ドル、景

ビジネス

米ワーナー、ネットフリックスなど買い手候補が改善案
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「世界一幸せな国」フィンランドの今...ノキアの携帯終了、戦争で観光業打撃、福祉費用が削減へ
  • 2
    【クイズ】1位は北海道で圧倒的...日本で2番目に「カニの漁獲量」が多い県は?
  • 3
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果のある「食べ物」はどれ?
  • 4
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 5
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 6
    中国の「かんしゃく外交」に日本は屈するな──冷静に…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    600人超死亡、400万人超が被災...東南アジアの豪雨の…
  • 9
    メーガン妃の写真が「ダイアナ妃のコスプレ」だと批…
  • 10
    コンセントが足りない!...パナソニックが「四隅配置…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 6
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 7
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 8
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    子どもより高齢者を優遇する政府...世代間格差は5倍…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story