本当のゴールは、第八十八番札所ではなく、和歌山の高… 2016.01.29
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どのお寺にもユニークな特徴があり、弘法大師ゆかりの逸話がある
DAY 4
お遍路のプロ"先達さん"の案内で危険なお寺へ
[岩屋寺~善通寺]
1日目から案内役となってくれていた四国お遍路の研究者であるデビッド・モートン先生とは、教務のため昨日でお別れした。この日からはモートン先生に代わり、熟練の先達さんであるTさんが案内してくれることに。「先達さん」とは言わばお遍路のプロフェッショナル。お遍路を4周以上終えた上でお寺からの推薦が必要などの厳しい条件があり、誰もがなれるわけではない。
Tさんに連れられて最初に訪れたのは、今回の旅で訪れる中でも、特に危険な場所にあるお寺だ。その名も第四十五番札所の岩屋寺(いわやじ)。読んで字のごとく、このお寺は大岩に埋もれるようにして建っている。
ここにはその昔、空を自在に飛び回れるほどの神通力を身につけた仙人が住んでいたのだとか。弘法大師がその仙人から山を譲られて建てたのが、この岩屋寺と言われている。仙人が住んでいたとされる岩穴に入ったり、鎖をよじ登らないとたどり着けない奥の院があったりと、生活そのものが修行の場となっているお寺である。
それだけ険しい土地だからか、今でも事故で亡くなるお遍路さんが稀にいるそうだ。江戸時代などには、お遍路さんが旅の最中に亡くなるとそのままその土地に埋葬されることが多かったという。実際、その墓などが参道のところどころに見受けられた。
そんな危険をおかしてまでお遍路をする理由はどこにあるのか? Fさんもそれが気になったようで、先達さんのTさんに質問する。Tさんによれば、そもそも四国には修験のために建てられたお寺が多く、お遍路のために建てられたわけではないという。だから、あえて人里から離れた山林の中や、岩屋寺のように危険な場所に建てられていることが多いのだと。
ただ、そうした命の危険すら感じる場所があるからこそ、お遍路を一周した時に得られるものは、現代ではなかなか得がたいものというわけだ。
お遍路のきっかけは、供養だったり祈祷だったりと人それぞれだが、お遍路をしていくうちに心の中にある余計なものが削ぎ落とされていき、自分自身と向き合うことで心のあり方が変化する。多くの面で満たされている現代社会ではそうした変化を得るのが難しいからこそ、お遍路をすることには大きな意味があるということだった。
次に向かったのは、第四十六番札所の浄瑠璃寺(じょうるりじ)。ここは弘法大師を追って四国を回った、最初のお遍路さんと言われる衛門三郎(ブログ[DAY 1-2]参照)の故郷でもある。いわば、お遍路始まりの地と言えるだろう。
浄瑠璃寺には、ここにしかない「もみ大師」という弘法大師像がある。境内で見られるのは下写真のような石像だが、本堂に祀られているのは本物の米籾(こめもみ)に掘られている、1センチにも満たない小さな弘法大師像だ。