オリンピックの終焉──裸足の王者アベベはもういない
それなら潔くプロスポーツだけ残したらよい。ワールドカップをやればよい。サッカーが典型だが(ワールドカップもFIAAもカネにまみれておかしなことになってはいるが、それはプロスポーツ、スポーツビジネスの世界だから、勝手にやればよい)、野球は大リーグの意向次第だが、柔道も卓球も、それがビジネスになっている。いわんや、テニスやゴルフにおいておや、である。
だから、オリンピックのサッカー、野球、テニス、ゴルフは、ソフトボールよりもつまらないのである。もっと重要な試合がある選手たちと、13年ぶりに晴れ舞台で戦える選手の差である。
オリンピックは、オリンピックという舞台以外では舞台が存在しないスポーツのためにあるのだ。
陸上競技も多くがプロ化し、もはやオリンピックもいらないかもしれない。砲丸投げはオリンピックに残したらよい。
いったんカネによって選手の能力に明らかな、埋めることができない差がついている以上、オリンピックの役割は終わり、プロスポーツだけが残ることになる。
アスリートファーストから程遠いのは、プロ化のせいではない。お祭り騒ぎでカネを動かすことにより、関係者数が膨れ上がることが悪いのであり、オリンピックが極端にアスリートファーストから遠いのだ。
競技と無関係の口出しが通る
前日の夜に、朝7時から6時にスタートを繰り上げる、などということが起きてしまう。プロスポーツとなり、マラソンだけの世界大会なら、大会事務局が、レースの公正だけのことを考え、繰り上げるなら、もっと前に決断できたし、競技に関係ない人々が、いろんな方面からの批判、口出しに対応することはなく、時間を変えずに行うこともできたはずだし、競技のことを最優先に考えられたはずだ。これでフェアなレースができるはずはなく、最高のパフォーマンスなど期待できるわけもない。
だから、オリンピックはもう役目を終えたのだ。
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もうひとつ、明らかにオリンピックが成立しなくなった理由がある。
国を背負って戦うことの意味がなくなったからだ。
いや、意味がなくなったどころか、それはおかしなことだ。
僕らは、すばらしい選手たちを応援する。選手のパフォーマンスを応援する。日本を、国旗を、金メダルを応援するのではない。
コスモポリタン、という言葉は廃れているぐらい、いまや、国籍、人種によるグループ分けはマイナスの意味しか持たないし、不自然なものになっている。
その世界で、国同士を戦い合わせる意味はないどころか、グローバル社会にとって負の意味しかない。
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