MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(6完)─正統派との共存可能性
共存可能な正統派と「モズラー経済学」
興味深いことに、その観点からモズラーのSoft Currency Economics IIを読み直してみると、レイのModern Money Theoryやレイやミッチェルの教科書Macroeconomicsとは、その筆致に大きな相違が存在することに気付く。そこにはまず、レイやミッチェルなどでは二言目には出てくる「正統派マクロ経済学批判」がほとんど出てこない。確かに、信用乗数の外生論批判をはじめとして、金融政策に対する教科書的説明に対する実務的観点からの批判はふんだんに展開されているが、その視点はどちらかといえば翁邦雄『金融政策--中央銀行の視点と選択』(東洋経済新報社、1993年)などに近い。もちろん「利子外生、貨幣内生」の観点は一貫しており、その点ではポスト・ケインジアンと相通じる部分を最初から持っている。しかしだからといって、金利操作という意味での金融政策の意義を全否定しているわけでもない。むしろ、中央銀行によるマネタリー・ターゲティング的な金利操作を「好意的に」解説しているくらいである。
これらの事実は、MMTにおける「反正統派」的な理論構成は、おそらくモズラー自身によってではなく、主にレイやミッチェルなどの元々の異端派によって、モズラー命題を「拡張」する形で追加されていったことを示唆している。本稿では冒頭で、モズラーによって発見されたMMTの中核命題や、それに基づく会計分析それ自体は、必ずしも正統派と共存不可能ではないことを指摘した。そのことは、モズラーのSoft Currency Economics IIや、そのオリジナルである1993年のSoft Currency Economicsの内容からも裏付けられるのである(オリジナルの方は現在入手不可能であるが、そのテキスト版と思われるものはEconPapersサイトのダウンロード・リンクから入手可能である)。
モズラーのSoft Currency Economics II序文には、そのオリジナルが1996年に出版されて以降、現在のようにMMTと呼ばれるようになる以前には、その主張は「モズラー経済学」と呼ばれていたことが書かれている。おそらく、MMTが正統派と共存可能であるためには、このモズラー経済学の時代にもう一度戻ることが必要であろう。それはもちろん、正統派と対峙する異端派を自認する現状のMMTにそれが可能であればの話ではあるが。
(連載終わり)
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