コラム

日本経済はいつ完全雇用を達成するのか

2016年12月05日(月)12時50分

賃金上昇に必要な失業率の一層の低下

 たとえ円安がホームメード・インフレをもたらしたのではないとしても、それが日本経済に雇用の改善と失業率の低下をもたらしたことは明らかである。そして、その雇用改善と失業率の低下は、日本経済を着実に「2%以上の名目賃金上昇」が実現されているような真の完全雇用に近づけていくことになる。その名目賃金上昇はどのようにして生じるのかといえば、それは「失業率のより一層の低下」を通じて以外にはあり得ない。

 日本の企業は近年、景気回復によって収益が大きく改善したこともあり、「収益を内部留保として貯め込むばかりで労働者に分配しない」ことを強く批判されている。しかし、この種の批判は明らかに、「企業の目的は利潤の追求にある」という資本主義経済の根本原理を忘れている。企業にとっての賃金とは基本的にはコストにすぎないのだから、切り下げることが可能ならできるだけ切り下げたいと考えるのは、利潤追求を旨とする限り当然のことである。

 バブル崩壊後の日本企業の多くは、成果主義に名を借りた賃金の切り下げ、賃金コストの高い正規雇用からそれが安い非正規雇用への代替、しばしば「ブラック」と呼ばれるような労働者搾取等々を行い続けてきた。それらは、仮にブラック企業のような赤裸々な形ではなかったとしても、要はすべて利潤確保のための賃金コスト切り下げの試みであって、その意味で資本主義の本質に根ざすものであった。

 重要なのは、日本企業の多くがそのような雇用政策を行い始めたのは、あくまでバブル崩壊後にすぎなかったという点にある。逆にいえば、それ以前にはやりたくてもできなかったのである。それは、バブル崩壊の前と後では、労働市場の状況がまったく異なっていたからである。

 バブル崩壊前の日本経済は、どのような不況期でも、失業率が3%を越えたことは一度もなかった。ところが、バブル崩壊後は逆に、1995年以降の20年以上にわたって、失業率が3%を下回ったことは一度もなかったのである。それだけ失業が拡大し、職を求める労働者が巷に溢れ、労働者の立場が労働市場で悪化すれば、利潤追求を旨とする企業が「労働者を安く買い叩く」のも当然であった。

 ところが、失業率が低下し、人手不足が厳しくなると、企業は逆に、労働力の確保のために否応なしに賃金を上げていくしかなくなる。この数年でも、人手不足が深刻な建築業界では、大工職などの賃金が顕著に上がっている。それは、そうしないと会社が働き手を確保できないからである。現状ではそうした業種は限られているが、失業率が全体として低下すれば、そうした「人手不足」業種が必然的に増えていくことになる。その結果、人々の賃金が平均して2%を越えて上がるようになれば、日本経済はようやく完全雇用を達成したと考えることができるのである。

 残念ながら、現状の日本経済は、まだそこまでの「人手不足」は実現できていない。多くの企業が人手不足を感じるなど、そこに徐々に近づきつつある兆候は見られるが、それが現実の賃金上昇として現れていない以上、その程度はまだ十分ではない。それが十分といえるようになるためには、何よりも失業率のより一層の低下が必要なのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、1カ月半内にサウジ訪問か 1兆ドルの対

ビジネス

デフレ判断の指標全てプラスに、金融政策は日銀に委ね

ワールド

米、途上国の石炭からのエネルギー移行支援枠組みから

ビジネス

トランプ氏、NATO加盟国「防衛しない」 国防費不
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story