コラム

トランプで世界経済はどうなるのか

2016年11月18日(金)17時30分

トランプの経済政策に対する「認識の欠落」

 一つ確実に言えるのは、マーケットはそもそも、トランプが選挙戦の中で明らかにしていた経済政策の内容それ自体については、たいした興味も関心も持っていなかったということである。もちろん、トランプが移民や貿易の拡大に対して反感を持つ「反グローバリズム」指向の人物であることは、メディアが取り上げる彼のさまざまな発言から明らかではあった。逆に言えば、トランプの経済観なるものについて、一般の人々が多少とも認識していたのは、ほぼそれだけであった。そして、その「認識の欠落」は、マーケットでも大同小異であったと考えられる。というのは、もしそうでなければ、トランプの勝利後に、株式市場や為替市場であれほどの右往左往が生じるはずもなかったからである。

 マーケットがトランプの経済政策についてほとんど無知だったことは、事前にはクリントンの勝利が確実視されており、トランプといえば「暴言とスキャンダルで注目されて何とか共和党大統領候補にまではたどり着いたが、最終的には負けることが明らか」というのが一般的な評価であった事実を考えれば、やむを得ない点もある。市場関係者にとっては、負け犬に決まっている奇矯な人物が掲げる経済政策をどれだけ仔細に吟味したところで、時間の無駄以外の何物でもないからである。

 しかし、大方の予想とは裏腹に、勝ったのはこの騒々しい人物の方であった。市場関係者たちは、その時になって始めて、トランプがどのような経済政策を掲げて大統領選挙を戦っていたのかに、改めて目を向けざるを得なくなった。そしてその結果、うわべとは異なるその本質を思い知るに至った。その改訂された認識は、またたく間に市場に織り込まれていった。こうして、トランプの勝利ショックによる市場のリスクオフは、わずか1日で反転することになったのである。

共和党の伝統的経済政策とは異質なトランプノミクス

 トランプ勝利の翌日から、マーケットは一転して、株高、円安ドル高、債券安という、いわゆるリスクオンの流れとなった。それは、トランプの経済政策すなわちトランプノミクスの具体的な内容を吟味してみると、反グローバリズムというそれまでの漠然とした印象とは異なり、むしろマーケットにとっては望ましい、経済成長指向のものであることが明らかとなったからである。

 これは大統領選挙中にも指摘されてきたことではあるが、トランプの経済観は、政府を拒否し市場を神聖視するような、共和党伝統の「市場原理主義」的なそれとは大きく異なる。トランプが勝った背景としてしばしば指摘されるのは、この20〜30年の間に拡大してきた、アメリカの所得格差である。しかし、共和党の伝統的な観念では、悪いのは格差そのものではなく、「格差是正を口実に政府が経済に介入すること」の方だったのである。共和党は実際、バラク・オバマ民主党政権が実行しようとした政府主導の経済政策、例えばケインズ主義的な景気刺激策やオバマ・ケアと呼ばれた医療保険制度改革に対して、草の根保守主義勢力「ティーパーティー」を後ろ盾に、執拗な抵抗を続けてきた。

 トランプの経済政策の主軸は、減税と公共投資である。これらは、共和党というよりはむしろ民主党に近いような、旧ケインズ主義的な景気刺激策である。とりわけ、公共投資の拡大政策は、「財政の崖」という強制歳出削減のリスクも厭わずにオバマの財政政策を妨害してきた共和党主流派からは、まったく提起されるはずもなかったものである。

 他方で、1980年代のレーガン減税や2000年代のブッシュ減税が示しているように、減税それ自体は、「小さな政府」を標榜する共和党の伝統的な政策である。しかし、その主要な手段は、富裕層に対する所得税減税であった。そしてその目的は、景気刺激というよりは、市場主義的理念に基づく「政府による所得再分配政策の否定」であった。

 それに対して、トランプが掲げる減税政策は、共和党伝統の所得税減税も含まれてはいるものの、法人税減税の方により大きな力点が置かれている。その目的はおそらく、「空洞化」が叫ばれて久しい製造業生産拠点の国内回帰促進にある。

 これらを全体として判断すれば、トランプノミクスの本質は、「市場を重視し政府を排除する」という共和党の伝統的経済イデオロギーとは異質の、「政府の力をも活用した経済成長重視路線」と位置付けることができよう。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ドバイ、渋滞解消に「空飛ぶタクシー」 米ジョビーが

ワールド

インドネシア輸出、5月は関税期限控え急増 インフレ

ワールド

インド政府、3500万人雇用創出へ 120億ドルの

ワールド

トランプ氏の対日関税引き上げ発言、「コメント控える
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引きずり込まれる
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    世紀の派手婚も、ベゾスにとっては普通の家庭がスニ…
  • 7
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    あり?なし? 夫の目の前で共演者と...スカーレット…
  • 10
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story