コラム

オフレコ論議で失われるもの

2011年12月12日(月)08時54分

 今から20年前、全国紙の神戸支局で記者1年生として取材を始めたころ、最初のデスクにこう教えられた。「記者は役人のオフレコ発言を許すな。もし『オフレコで』などと言われたら、席を蹴ってその場を退出せよ」

 こんなことを思い出したのは、防衛省沖縄防衛局長の「不適切発言」をめぐるいわゆる「オフレコ懇談」問題がきっかけだった。この問題について、東京新聞・中日新聞の長谷川幸洋・論説副主幹が興味深いコラムを執筆している。

 琉球新報によるオフレコ破りを「支持する」という長谷川氏は、このコラムで「官僚や政治家が記者に話すのは、政策や政局を自分の都合がいいように誘導するため。オフレコ(匿名)を求めるのは不都合な事態が起きても、自分の責任を問われずに済むから」と書いている。

 うなずける部分もある。だが、首をかしげる部分もある。

 支局デスクの言葉は、中央官庁や政局とはあまり縁のない、それこそ地べたを這うようにネタを拾うまさに大阪ジャーナリズムならではの教えで、真意は権力との過度の癒着を戒めるところにあった。20年前当時はあのグリコ森永事件の「匂い」が関西の取材現場にまだかなり強く残っていて、警察の情報操作に翻弄された先輩記者たちは「警察の言うことなんか信じるな」と、二言目には後輩たちに釘を刺していた。

 権力との癒着をいさめる意味でオフレコを否定するのは正しい。ただオフレコを否定するため、いったんオフレコを前提に聞いた話を「後出しジャンケン」的に報じることは許されるのだろうか。

「席を蹴ってその場を退出」の趣旨は「オフレコを前提にした話を聞くな」であり、「オフレコ前提で聞いた話を後で書く」ではなかったはずだ。報じることで生まれる公益と、取材相手との信義則のどちらを優先すべきか、という問いに対する答えはない。ただ約束を裏切って書いた記事は、必ずしも幅広い共感や支持を広げない。今回も話題になるのは一川防衛相の問責決議とオフレコをめぐる議論ばかりで、普天間基地の移転や沖縄の過剰な負担という問題は、むしろ隅に追いやられている。

 今回の議論では、オフレコ問題と匿名のニュースソース取材も一緒くたにされている。

 既にさんざん指摘されていることだが、実名報道の欧米メディアはすぐれていて、匿名のニュースソースに基づく日本メディアが異常で劣っている、という図式も決して正しくない。欧米メディアも匿名のニュースソースは普通に使うし、仮に「業務への影響を考慮して匿名」「微妙な問題なので匿名」という言い訳を記事に書いたところで、匿名の取材源を基にした記事を書いている点では日本メディアと何ら変わらない。そもそも匿名の取材源を一切認めないとなると、「ディープスロート」の情報を基にウォーターゲート事件を暴いたワシントン・ポスト紙の一連の報道を否定することになってしまう。

「ディープスロート」ことマーク・フェルト元FBI副長官がボブ・ウッドワード記者にニクソン政権の不正に関する重要情報をリークしたのは、単なる正義感だけではなく、ニクソンにFBI長官昇進を阻まれたことが背景にあった。あらゆる情報は必ずしも善意だけでなく、大なり小なり何らかの意図をもって流されている。それはオフレコ懇談であろうと記者会見であろうと、いわゆる夜回り取材であろうと変わらない。

 これまでの既存メディア批判と同様、今回のオフレコ批判の根底にあるのはメディアが市民の側でなく、「権力のサークル」の中にいることへの不信といらだちだ。本質的には権力的なのに、既存メディアの側が「自分たちは市民の側に立って報道している」と錯覚しているから、いつまでたっても両者の不信の垣根が取り払われない。そして、ネットという強力な武器を手にした市民に「兵糧攻め」されているうちに、メディアは徐々に体力を失いつつある。

 最近めっきり調査報道という言葉が既存メディアから聞こえなくなった。市民との不毛な消耗戦に明け暮れ、「職人芸」が必要とされるはずの調査報道をメディアができなくなっているのだとしたら――オフレコ論議に明け暮れる両者を横目に、ほくそ笑んでいるのはいったい誰なのだろうか。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

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ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

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