- HOME
- コラム
- From the Newsroom
- 帰って来たノーランズ
コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
帰って来たノーランズ
1980年代、ロックやパンクを聞いている日本の中高生男子(一部小学生男子)の敵はABBAであり、B.C.R.(ベイ・シティ・ローラーズ)であり、のちにデュラン・デュランであり、カルチャー・クラブだった。嫌われたのは、主に彼らの音楽(と見た目)が体制的だと、反体制気取りのロック・パンク派に受け止められたから。
ところがそれから十数年経った90年代半ば、ABBAが突然脚光を浴びるようになる。きっかけはU2のボノだった。「反体制」の象徴だったはずの彼とU2があろうことか『POP』というアルバムを発売し、ABBA好きを公言。コンサートで「ダンシング・クイーン」を歌った。その後今も続くABBAブームのきっかけをつくったのは、間違いなくボノである。
70年代後半から80年代にかけて、ABBAやB.C.R.とともにロック・パンク派から憎悪されていたのが、アイルランド生まれの4人組姉妹グループのノーランズだ。そのノーランズがまた日本で注目を集めている。ABBAを再発見したのがボノなら、日本でノーランズを再発見したのは例のソフトバンクの「お父さん」。最近、ソフトバンク携帯のCMにノーランズの『ダンシング・シスター』が使われているのだ。
ボノはABBAについて「少女趣味だという理由でABBAの音楽は完全に無視されたが、結果的に彼らは時代を越えて生き残った。ABBAには歌うことに対する純粋な喜びがある」と、かつてドキュメンタリー番組で語った。この言葉はそのままノーランズに当てはまる。次のYou Tube映像を見てほしい。
1980年11月、大阪の伝説の名番組『ヤングおー!おー!』に出演した映像である。今You Tubeに残っている彼女たちのどの映像より、生き生きとしたノーランズが歌い、踊っている。
ノーランズには「ダンシング・シスター」だけでなく「Gotta Pull Myself Together(恋のハッピー・デート)」や「セクシー・ミュージック」といったヒット曲もある。テレビ番組などで今も結構使われているから、「どこかで聞いたことがある」と感じる人も多いだろう。
当時は「激ダサ」の烙印を押されても、時代を超えて生き残るものがある。ノーランズが生き残ったのは、彼女たちに歌い踊る喜びが純粋にあふれていたから。その喜びは、単に彼女たちを懐かしがるオジさんオバさん世代だけでなく、若い人たちにも伝わる。だからこそノーランズはソフトバンクの「お父さん」に再発見されたのだ。
――編集部・長岡義博
この筆者のコラム
COVID-19を正しく恐れるために 2020.06.24
【探しています】山本太郎の出発点「メロリンQ」で「総理を目指す」写真 2019.11.02
戦前は「朝鮮人好き」だった日本が「嫌韓」になった理由 2019.10.09
ニューズウィーク日本版は、編集記者・編集者を募集します 2019.06.20
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか 2019.05.31
【最新号】望月優大さん長編ルポ――「日本に生きる『移民』のリアル」 2018.12.06
売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難 2014.12.02