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バイデン米大統領のセンチメンタルジャーニー アイルランド帰郷に込められた意味
英国の欧州連合(EU)離脱で北アイルランドが再びギスギスし始めた。北アイルランドに和平をもたらした「ベルファスト合意」20周年の時「合意は次の20年を生き残れない」と囁かれた。この3月、カトリック系政党シン・フェイン党は北アイルランドとアイルランドの統一を問う住民投票実施を呼びかける広告を米主要紙に掲載した。
1960年代後半、米国の黒人たちが人種差別の解消を求めた公民権運動に触発され、北アイルランドでも、「2級市民」扱いされていたカトリック系住民が公民権運動デモを組織した。雇用、公共住宅の割り当て、選挙区割り、警察官の採用についてカトリック系住民をプロテスタント系住民と同じように扱えと主張した。
血の日曜日
英国によるアイルランド支配、アイルランド独立戦争を経て英国にとどまることになった北アイルランドのカトリック系住民には、「支配者」として振る舞い続けるプロテスタント系住民や警察権力に対する怒りが充満していた。72年、デリーを行進中のカトリック系住民が英軍に銃撃され、14人が死亡する「血の日曜日」事件を機に紛争は一気にエスカレートする。
非常事態下の北アイルランドには最大2万1000人の英部隊が配置された。98年、ジョージ・ミッチェル元米上院議員、ビル・クリントン米大統領、トニー・ブレア英首相のリーダーシップで「ベルファスト合意」が結ばれ、経済は浮揚する。帰属が確定するまで、プロテスタント、カトリック系政治勢力が共同参加する自治政府によって統治されることになった。
「ウィンザー・フレームワーク」でEUと合意したリシ・スナク英首相は「最も重要なのはベルファスト合意が北アイルランドにおける妥協に基づいていることだ。困難な決断を下し、妥協を受け入れ、リーダーシップを発揮した人々を称える」と、フレームワークに反対する与党・保守党右派や北アイルランドのプロテスタント系民主統一党(DUP)に妥協を求めた。
ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンのリーアム・ケネディ教授(米国研究)は豪オンラインメディア「ザ・カンバセーション」への寄稿で「バイデン氏の訪問は、歴史的な象徴であると同時に、アイルランド・カトリックであり、同国との絆を誇らしげに語る米大統領として、個人的にも重要な意味を持つことになる」と指摘する。