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「国に『金くれ』とか言うなよ」という話? 再開された「表現の不自由展」は日本人の心を踏みにじるのか
「子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正を目指して再登板した安倍晋三首相は戦後70年談話でこう述べています。
「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
戦後の教科書問題はもともと、被害の歴史だけでなく加害の歴史も子供たちに教える必要があると考える日教組・朝日新聞と、加害の歴史を教えるのは自虐史観だと反発する保守派・産経新聞の対立でした。
戦後50年から戦後70年にかけ激変した国内世論
筆者は産経新聞の記者時代、戦後50年企画「戦後史開封」の取材で教科書訴訟の家永三郎氏(当時82歳)に取材したことがあります。
戦後の歴史教科書は東京帝大史料編さん室で進められ、原稿はすべて英訳され、GHQ(連合国軍総司令部)のCIE(民間情報教育局)でチェックされました。トップバッターは、国民学校用『くにのあゆみ』の古代を執筆した東京高師教授の家永氏でした。
「私個人としては、神武天皇は書きたくなかった。(略)国定教科書なのだからと伝承の形で書いた。"(神武天皇は)当時からそう呼ばれていたのか"とCIEに尋ねられ、"後世につけられた漢風のおくり名だ"と答えた。"当時の名で"と求められ、神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)と書き直した」
CIEは神武天皇の「神(超国家主義)と武士(軍国主義)」という2つが一番気に入らなかったそうです。戦後50年当時、日本の国内世論はまだ牧歌的でした。家永氏のほかにも、朝日新聞の社長だった中江利忠氏も静岡支局の駆け出し記者時代に「第五福竜丸」事件を取材した秘話について、産経の記者だった筆者の取材に快く応じてくれました。