コラム

独立直後のイスラエルが行ったパレスチナ人の「民族浄化」を告発する

2018年02月07日(水)16時09分

これは和平実現を絶望的にする本なのか?

本書では最後にオスロ合意について、イスラエルが1948年に行った「民族浄化」の責任や、その結果生じた難民たちの帰還については全く排除されていることが、解決を妨げているという立場をとっている。

つまり、「土地と和平の交換」の方程式だけでは和平は実現せず、1948年にイスラエルによって実施された「民族浄化」作戦によって引き起こされたパレスチナ人の「ナクバ(大惨事)」に戻って、それによって生じた難民たちの帰還を実現しなければ和平は実現しないということである。

本書はパレスチナ問題の困難さの本質を見せてくれる。その意味では、パレスチナ問題を理解するために決定的に重要な書物である。ただし、イスラエル政府やイスラエル国民の多くはパレスチナ難民の帰還権を認めればイスラエル国家は破綻するとして認めない姿勢をとる。

70年前に起きたイスラエルとパレスチナの間の傷をえぐりだすパぺの著書は、和平実現を絶望的にするという見方があるかもしれない。

しかし、パぺは「和平は私たちの手の届くところにある」とし、「大多数のパレスチナ人は、数十年にわたるイスラエルの野蛮な占領に人間性が奪われるのを拒み、何年もの追放や弾圧にもかかわらず和解を望んでいるのだ」と書く。パぺは研究と並行してパレスチナ人の歴史家らとの対話や共同研究をしており、その試みからくる確信なのだろう。

私がシャティーラ難民キャンプで<ナクバ世代=難民第1世代>の老人たちの話を聞いて驚くのは、彼らが悲惨な経験を語りながらも、一方で戦争以前にユダヤ人を隣人として暮らしていた記憶を持ち、「ユダヤ人とは共存できる」と口にすることである。

パレスチナ人にとっても1948年のユダヤ人部隊による暴力は予想もしないことで、それまでのユダヤ人とは結びつかないものであり、戦争という特殊な状況での出来事と限定的に記憶されているのだろう。鋭く対立し袋小路となっているイスラエルとパレスチナの現状から考えれば、和平は描きにくい。しかし、共存していた昔に戻るという考え方に立てば、和平は現実のものとなる。

過去に戻ることはできなくても、過去に戻って共通の基盤を探ることが、未来の和解を支える。それを阻んでいるのは、第1次中東戦争で行われたパレスチナ人の排除に対して、イスラエ側が過去と向き合うことを拒否していることだ。その意味では、パぺの著作は、和平は不可能ではないことを示す「希望の書」である。

パぺは最初の「謝辞」の最後にこう書いている。


本書は......誰よりも1948年の民族浄化で犠牲となったパレスチナ人のために書いたものである。......私はナクバについて知ってからずっと、彼らの苦しみや喪失、希望をともに感じてきた。彼らが帰還してはじめて、この一連の大惨事がみなの切望する終焉をようやく迎えたと感じられるだろうし、われわれみながパレスチナで平和に、そして穏やかに暮らすことができるのだろう。


『パレスチナの民族浄化――イスラエル建国の暴力』
 イラン・パぺ 著
 田浪亜央江・早尾貴紀 訳
 法政大学出版局

【お知らせ】
ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!
気になる北朝鮮情勢から英国ロイヤルファミリーの話題まで
世界の動きをウイークデーの朝にお届けします。
ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

独政府、「自由落下」経済から産業救済強化を=産業連

ワールド

米政権、自動車燃費規制の大幅緩和を3日発表へ=関係

ワールド

欧州委、ロシア凍結資産活用巡り法的提案へ=関係筋

ワールド

ホンジュラス大統領選、トランプ氏支持候補が僅差で追
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    大気質指数200超え!テヘランのスモッグは「殺人レベル」、最悪の環境危機の原因とは?
  • 2
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が猛追
  • 3
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇気」
  • 4
    若者から中高年まで ── 韓国を襲う「自殺の連鎖」が止…
  • 5
    コンセントが足りない!...パナソニックが「四隅配置…
  • 6
    海底ケーブルを守れ──NATOが導入する新型水中ドロー…
  • 7
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 8
    「世界一幸せな国」フィンランドの今...ノキアの携帯…
  • 9
    22歳女教師、13歳の生徒に「わいせつコンテンツ」送…
  • 10
    もう無茶苦茶...トランプ政権下で行われた「シャーロ…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 8
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story