コラム

1982年「サブラ・シャティーラの虐殺」、今も国際社会の無策を問い続ける

2016年09月22日(木)07時37分

イラク戦争でもシリア内戦でも犠牲になるのは市民

 悲劇は、82年の虐殺だけではない。シャティーラキャンプは1975年から90年まで15年続いたレバノン内戦の間に7回、破壊されたといわれる。イスラエル軍の絡みだけでなく、85年から87年には、シーア派民兵組織の包囲攻撃を受けた「キャンプ戦争」でキャンプの8割が破壊され、2500人が死んだ。最長6カ月の包囲もあり、キャンプ全体が飢餓状態になったこともある。

【参考記事】映画『オマールの壁』が映すもの(1)パレスチナのラブストーリーは日本人の物語でもある

「サブラ・シャティーラ」は、戦争での民間人の犠牲の象徴でもある。2008年から2014年までに3回繰り返されたイスラエルによる大規模なガザ攻撃にもつながる。特に空爆による犠牲者の大半が民間人である。国際的な人権組織はイスラエル軍の「戦争犯罪」に言及するが、それが国連などで正式に問われることはない。

 さらに、戦闘での民間人の犠牲という意味では、今年6年目を迎えるシリア内戦でも、政権軍による反体制地域への空爆や樽爆弾投下などで、より大規模に繰り返されている。反体制地域では他にも、過激派組織「イスラム国」による市民への攻撃とともに、それ以外の反体制組織による市民への圧力や暴力も報告されている。

 当初は、市民による非暴力デモとして始まった運動が、政府の武力制圧とそれに対する武装抵抗から内戦化し、いつの間にか第2次世界大戦後最悪の紛争となり、人道的悲劇をもたらしている。市民の保護に無力で、無策だった国際社会の責任が問われるべきであろう。

 それは「サブラ・シャティーラ」に象徴される虐殺や戦争で、武力行使をする者が、何ら責任を問われないということが繰り返されてきた結果である。

 中東で取材していると、なぜ、これほどまでに市民の命が軽んじられているのかと思わずにおれない。大きな理由として、中東に市民社会があることが忘れられ、武装勢力とテロリストしかいないような先入観が欧米にも、日本にも強すぎるのではないだろうか。つまり、中東とのかかわりは、軍の領域だという思い込みである。

 しかし、イラク戦争とその後の米軍駐留を取材した経験から言えることは、軍に市民的な人権に配慮せよということ自体、大きな限界があるということである。イラクだけではない。シリアでも、パレスチナでも、リビアでも、エジプトでも、軍や武装勢力や民兵が舞台の上に出てきた段階で、市民の人権は無にされると考えるしかない。

 9.11事件以来、民間人を無差別に殺傷するテロに対しては、国際社会は厳しい目を向けるようになった。しかし、その結果が、軍を使っての対テロ戦争であり、その陰で多くの市民が軍事作戦の犠牲になっている。イラク戦争でも、シリア内戦でも、正規軍と外国軍と反体制武装組織や民兵が互いに戦闘と破壊を繰り返し、軍事的にエスカレートし、結果的に犠牲になっているのは常に市民である。シリアで500万人近い難民が出ているのは、市民社会が破壊された結果である。

 イスラエル軍と民兵によって市民が犠牲となった「サブラ・シャティーラ」の教訓は、「市民の保護」に無力な国際社会の対応の在り方を、いまも問い続けている。

【参考記事】「瓦礫の下から」シリア内戦を伝える市民ジャーナリズム
【参考記事】人道支援トラックに空爆、シリア和平の希望が潰える

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

サマーズ氏、公的活動から退くと表明 「エプスタイン

ワールド

米シャーロットの移民摘発、2日間で130人以上拘束

ビジネス

高市政権の経済対策「柱だて」追加へ、新たに予備費計

ビジネス

アングル:長期金利1.8%視野、「責任ある積極財政
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 3
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 9
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 10
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 10
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story