コラム

エジプトの人権侵害を問わない日本のメディア

2016年04月08日(金)15時42分

 ただし、一国の政治について、外から非難してもそれには限界がある、ということはイブン・ハルドゥーンから700年たった現代でも同様である。人権組織の活動は市民から権力者に権力の乱用に自制を求める動きであるが、エジプト政府が、それを排除すれば、権力者はますます自制力を失い、国内の政治的な分裂を修復する契機を失うことになりかねない。「テロとの戦い」で人権が犠牲になれば、政治は圧制となり、国民から乖離し、さらに混乱が進みかねない。

 民主主義がない国では、秘密警察による政治犯の弾圧と、拘束者に対するひどい拷問によって、過激派組織が生まれてくることも知られている。人権が守られていることは、政治の健全性とともに、有効性を保つ上でも不可欠である。

 シュピーゲル誌がエジプトの人権問題についてシーシ大統領を執拗に追及しているのを見ると、エジプトに対する関心を超えているように思える。それはシーシ大統領を招待しているドイツ連邦政府の立場と異なることは明らかだ。考えられるとすれば、シュピーゲル誌が背負っているのは、第二次世界大戦でナチズムを経験したドイツの市民社会の人権意識であろう。ドイツにとって人権はきれいごとではなく、自分たちの社会と生活の死活問題にかかわっているという切実感がにじんでいる。

 メルケル首相はシーシ大統領との会談後の記者会見で、ドイツとエジプトには「平和と治安」など共通の利害があることを強調しながらも、「私たちの間には異なる意見もある」として死刑の問題を例として挙げ、そして、「パートナーとして複雑な問題を解決するとしても、(異なる意見についても)話し合うことができるようにしなければならい」と語った。

英ガーディアン紙はシーシ訪問に苦悩がにじむ社説

 11月にシーシ大統領が訪問した英国でも、BBC(英国放送協会)は「シーシの英国訪問で人権問題が脚光を浴びる」という見出しで、クーデター後、2011年の民主化運動で有名になった4月6日運動のリーダーやブロガーがデモ規制法に反対して有罪判決を受けていることや、ムルシ元大統領の支持者1000人が治安部隊に殺害されたことなど、人権問題を挙げる記事をカイロ発で報じた。

 英国の有力紙ガーディアンはシーシ大統領の英国訪問について「長いスプーンを使って食事をせよ」と題する社説を掲載した。これは「悪魔と食事する時は長いスプーンを使え」ということわざに基づく表現で、「危険な人物に対する時は用心せよ」という意味になる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216cmの男性」、前の席の女性が取った「まさかの行動」に称賛の声
  • 3
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 6
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 7
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 9
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 10
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつか…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story