コラム

イギリスのワクチン「優先確保」にEUが激怒、アストラゼネカの言い分は?

2021年02月09日(火)19時25分

EU内の工場は、英国内の工場に比べればいまひとつなのは本当だとしても、それなりの量は生産しており、同社はそこのワクチンもイギリスにまわしていた、その背景にはイギリス政府がある。だからこのようなメカニズムが必要だった──というのが自然だろう。

そう考えれば、日本政府が懸念を発言するのも、ある程度納得がいく。

欧州工場でつくられている分は、予定より少ないとはいえ一定の量があり、それが(も)日本政府の購入分の中に含まれていた。でも、規制をかけられたら、日本が買える分がなくなってしまうのではないか......という心配である(日本政府は、同社とどういう契約なのか、ちゃんと詳しく説明するべきだ。記者も政治家も、政府に突っ込んで質問するべきだ)。

このように「EU内で生産された分も、イギリスにまわしていた」ならば、すべてがきれいにつじつまがあうのである。

それにしても、日本政府はイギリス政府や同社には何の苦情も公に言わないのは不思議である。どのみち、英国工場で多くが生産されているのは確実なのだ。

ちゃんと契約しているのだから、「すぐ送れ」と言わないまでも、懸念の一つくらいは公に発表するべきではないのか。EU側には言うのに、イギリス政府には何も言わないのか(どちらにも言う、どちらも言わないなら、まだわかるのだが)。

透明性の問題

この問題が「透明性の問題」とするEUの見解は、納得がいく。

二国間のなかで内密に話をしていると、外に話が出にくい。内々に何かを約束して、仮に破られても、文句は言えなくなる。それに、一国が何かをこそっと内密にやっても、わかりにくい。すべては闇のなかだ。

EUはそういう性質に大変厳しい目をもっている。27カ国が集まっているので、そういうことができないのだ。このEUという組織は、三言目には「透明性」である。

変なたとえで恐縮だが、ある人が、誰か一人に1000万円借りれば、お互いの心一つでなんとでもできやすい。こっそり何かを決めることも可能だ。でも、27人集まっている1つの組織で、それぞれ(1000万円÷27=)約38万円ずつ借りれば、そう簡単に勝手なことはお互いできないのと、同じ理屈だ。

27人の組織のほうは、一つの組織を維持するために、常に足並みを揃えようとする。一人が「38万円を返さなくてもいい」などと言いだしたら、絶対に返してほしい人もいるのだから、組織にとっては問題だ。また、ある人にはすぐに返したのに、別の人にはちっとも返さないのも問題だ。この組織では、27人の38万円の返済の経緯や理由を、常にオープンにする必要がある。

これと同じ理屈で、EUという組織の維持には、透明性が不可欠なのだ。「透明性」は「公表」とつながる考えだ。実際には、そうそう上手くいくものではない。それでもEU内では「しなければいけない」という意識は高く、かなりの努力をしている。

イギリス政府&アストラゼネカ社と日本政府の内々のワクチン交渉の内容は、表に出る可能性は少ないが、EUは政策となって表に出やすい。

今回、EUの立場が27カ国の組織ではなくて1カ国だったら「購入契約を結んだ製薬会社がワクチンを域外へ輸出する際は、申告と許可が必要」などというメカニズムをつくって発表する必要などなかったのだ。今回イギリスが行ったとみなされるように、こっそりと陰で行えばいいのだ。言い訳はなんとでもつけられる。このような類のことは、イギリスに限らず、日本でも他の国でも始終行われている。

プロフィール

今井佐緒里

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出合い、EUが変えゆく世界、平等と自由。社会・文化・国際関係等を中心に執筆。ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際関係・ヨーロッパ研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)、欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人~海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)、連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等。フランス政府組織で通訳。早稲田大学哲学科卒。出版社の編集者出身。 仏英語翻訳。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story