コラム

ウクライナとヨーロッパの衰退──理念と現実の間で

2023年09月20日(水)18時10分

戦争の長期化はヨーロッパの亀裂を広げ、消耗させる

筆者はウクライナとロシアの戦争は早期に解決した方がよいと思うが、ロシアに有利な条件での解決はすべきではないと考えている。同様な立場を取る人は多いと思うが、ここにはひとつ大きな問題がある。

時間はウクライナおよび支援国、特にヨーロッパにマイナスに働く。前掲のように世界が直面する気候変動、食糧問題、エネルギー問題および移民問題はヨーロッパへの負担を大きくするし、負担をしなければ理念の放棄になる。また、負担をしたとしてもそれを配分することはEU内の不協和音を拡大する。配分しなければイタリアなど特定の国だけが犠牲を強いられることになり、これもまた亀裂を広げる。

現在の移民協定案が民主主義的理念とそぐわない側面があることが象徴しているように、現実との妥協は民主主義を信奉する人々とそうではない人々の双方に不満をもたらし、後者の増加はポピュリストの台頭を許すことになる。

その矛盾を利用するのがロシアの情報戦、認知戦だ。主として西側以外あるいはグローバルサウスの国々で影響力を広げている。日本にいると海外の情報は欧米特にアメリカのメディアがテーマと視点を設定したものがほとんどだ。日本で言う国際世論とはアメリカおよび一部のヨーロッパメディアに形作られるといってもよいだろう。世界の人口の半数を占めるグローバルサウスの国々の世論は日本人には届きにくい。

ichida20230920c.jpg

グローバルサウスの国々には中露を始めとする各国が積極的にナラティブを拡散し、日本で見えるのとは異なる世界が形作られている。たとえば2023年8月に行われたG20サミットの半年前からロシアはラテンアメリカに対して、世界経済の脱ドル化とBRICS拡大による多極的世界秩序という2つのナラティブを拡散していたことが大西洋評議会デジタル・フォレンジック。リサーチ・ラボの調査で明らかになっている。

気候変動、食糧問題、エネルギー問題、移民問題などはヨーロッパを始めとする民主主義国がこれから向き合って行かなければいけない問題だが、今のところ民主主義の理念を劣化させた妥協案か、民主主義的価値を毀損するような結束の拡大と誇示(権威主義的傾向のある国を陣営に加える)くらいしか見当たらない。そのためずるずると権威主義化することが予想される。

日本も他人事ではない

ヨーロッパが直面している問題は日本にもある。日本はウクライナ支援国であり、中国が台湾に侵攻あるいは併合した際の最前線の当事国になる。日本はウクライナ戦争におけるポーランドに近い立場に立たされるのだ。大量の避難民を受け入れ、兵站の拠点となり、間接的な攻撃対象となる。

日本へのサイバー空間での攻撃は増加している。ほとんどの国ではサイバー攻撃と情報戦は同じ部隊あるいはひとつのサイバーオペレーションで連携して行われる。近年のサイバー攻撃の増加、偽情報などの増加が日本がすでにサイバー空間での争いの当事者であることを示している。

対外的な攻撃では「どちらかの意見に賛成させる」ことと、「誹謗中傷」がセットで行われることが特に多いことが、10年間のネットでの影響力工作を調査したプリンストン大学ESOCの調査でわかっている。日本で観測された「汚染水放出」に関するナラティブもこうしたパターンに当てはまっている。一定数の人が同調しやすく、物議をかもしやすいこうした話題をターゲットにすることは分断を生みやすく、理にかなっている。多くの国がそうであるように、日本でも歴史認識について意見の異なる話題は多く、影響工作のテーマに事欠かない。

ロシアの対外的な攻撃ではプロパガンダ・メディアがよく活用される。スプートニクはロシアのプロパガンダ・メディアとして有名だが、日本ではその日本語版の内容を信じて拡散している人も散見されるので効果が期待できる。

日本で国家としての偽情報、情報戦、認知戦への対策が叫ばれるようになって数年経つが、いまだにリーダーシップをとって対策を進める態勢はできていない。民主主義国陣営である日本も同様の困難に直面しているが、別な見方をすれば、日本がこの状況を打開できる方策を打ち出すことができれば民主主義陣営のリーダーシップを取ることができる可能性もある。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ネット世論操作とデジタル影響工作』(共著、原書房)など著作多数。X(旧ツイッター)。明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。新領域安全保障研究所。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏が閣僚刷新検討 イラン戦争が打撃 選挙控

ワールド

商船三井のLPG船がホルムズ海峡を通過 日本関係2

ワールド

ドバイの米オラクル施設に迎撃破片が落下、負傷者なし

ワールド

トランプ政権による大学への人種データ開示命令を仮差
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
2026年4月 7日号(3/31発売)

国際基準の情報開示や多様な認証制度──本当の「持続可能性」が問われる時代へ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始めた限界
  • 2
    「考えの浅い親」が子どもに言ってしまっている口ぐせ・ワースト1
  • 3
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引、インサイダー疑惑が市場に波紋
  • 4
    イラン戦争は「ハルマゲドンの前兆」か? トランプ…
  • 5
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 6
    「高市しぐさ」の問題は「媚び」だけか?...異形の「…
  • 7
    【写真特集】天山山脈を生きるオオカミハンター
  • 8
    【銘柄】「三菱商事」の株価に高まる期待...ホルムズ…
  • 9
    血圧やコレステロール値より重要?死亡リスクを予測…
  • 10
    中国は「アカデミズムの支配」を狙っている? 学術誌…
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始めた限界
  • 3
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引、インサイダー疑惑が市場に波紋
  • 4
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が…
  • 5
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イ…
  • 6
    「考えの浅い親」が子どもに言ってしまっている口ぐ…
  • 7
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 8
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 9
    年金は何歳からもらうのが得? 男女で違う「最適な受…
  • 10
    中国がイラン戦争最大の被害者? 習近平の誤った経…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story