コラム

サウジ、IS、イランに共通する「宗教警察」の話

2016年04月26日(火)16時46分

サウジアラビアでは「勧善懲悪委員会」、ISでは「ヒスバ」、イランでは「ギャシュテ・エルシャード(道徳パトロール)」と呼ばれる宗教警察があり、礼拝や断食をさぼっていないか、女性がスカーフをきちんと着けているかなどを取締っている(サウジアラビアにあるイスラームの聖地メッカ) Ahmad Masood-REUTERS

 少し古い話だが、3月はじめ、たまたまテレビを見ていたら、よくメディアに登場する予備校講師が「イスラム国(IS)はワッハーブ派である」と断言していた。それに対し共演のジャーナリストが「そのとおり。ISの行動は世界史の教科書で理解できる」と相槌を打っていた。

 ワッハーブ派というのは、18世紀のアラビア半島に現れたイスラーム法学者、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブの名に由来する。彼の考えかたが現代のサウジアラビアの建国理念に強い影響を与えており、それゆえ、サウジアラビアのイスラームはしばしばワッハーブ派と呼ばれている。

 実は、この番組が放映された日、サウジアラビアからアールッシェイフ諮問評議会議長が来日した。諮問評議会議長というのは、日本でいえば、国会議長のような存在なのだが、問題はこの人の姓だ。アールッシェイフというのは、「シェイフ家」の意味で、シェイフとはアラビア語で「師」や「先生」「長老」などを指す。実は、ここでいう「師」とは、上述のムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブのこと。つまり、アールッシェイフといえば、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブの子孫なのである。

 ワッハーブ派とテロ組織を同一視する発言がテレビで流れた、まさにその日、ワッハーブ派総本山のような人が外務省公式の招待で訪日したのである。わざとぶつけたとしたら、すごいと思うが、おそらく偶然だろう。いわゆるシンクロニシティーであろうか。

【参考記事】テロを呼びかけるイスラームのニセ宗教権威

 さて、そのワッハーブ派だが、日本ではよくサウジアラビアの「国教」として紹介される。だが、サウジアラビアの国教はイスラームであって、ワッハーブ派ではない。かの国では公にはこの語は用いられず、具体的にいうなら、スンナ派か、同派公認法学派であるハンバリー派といった表現になろう。

 では、ISのイデオロギーはワッハーブ派なのか。個人的には、両者の共通点はさほど多くないと思うが、ここでは深入りしない。ただ、ISの思想がワッハーブ派だと主張する人で、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブの著作を読んだことのある人などほとんどいないはずだ。これはフェアといえないだろう。

 もちろん、ワッハーブ派がISと全然異なるというわけではない。ISには多数のサウジ人が参加しているし、ISの宣伝文書中には、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブや彼に連なる法学者たちの名前も引用されている。

 制度面でも斬首や四肢切断、石打といった刑罰は共通する。しかし、こうした厳罰は、クルアーン(コーラン)に規定された刑罰(ハッド刑)であり、ワッハーブ派だから、ISだからこういう罰ということではない。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story