コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
アメリカ人を悩ます「さん」付けの美学
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ
数週間前のこと。ゼミの学生たちとの飲み会の帰り道で、ある学生が突然振り返って、真剣な顔でこう聞いた。「個人的な質問をしてもいいですか?」。「もちろん」と私は言った。「先生のこと、どう呼ぶのが正しいのですか?」
通常なら私の答えは、「マイケルと呼んでくれ」だ。アメリカ人は名前で呼ばれるのを好む。ハーマン・メルビルの名著『白鯨』は有名な一文から始まる。「イシュマルと呼んでくれ」
だが東京では、そう簡単にはいかない。
たいていのことでは東京暮らしにも慣れたが、名前の使い方については、いまだに慣れない。私は毎日、以下の名前のいずれかで呼ばれている。「マイケル」「プロンコ」「プロンコさん」「プロンコ先生」「マイケルさん」「マイケル先生」......。だがその呼び方は必ずしも、親しさのレベルや社会的敬意の払い方とは一致しない。名前や肩書きを呼ぶときの日本の細かな作法を、外国人の名前に当てはめようとすると、ごちゃ混ぜになって、うまくいかないのだ。だから私はなんと呼ばれようとも、返事をすることにしている。
レストランでは、「マイケルさん」と呼ばれることもあれば、「プロンコさん」と呼ばれることもある。でも、「マイケルさん」とよりくだけた呼び方をするのが、かしこまった店の丁寧な店主だったりする。宅配便の配達員やデパートの店員、市役所の担当者が、「マイケルさん」と呼ぶ一方で、私が時々行く小さなフレンチのビストロのシェフは、よりフォーマルな「プロンコさん」だ。食べ終わって帰るときには、フランス流のハグ(抱きしめること)をして親愛を示してくれるのだが。ハグとフォーマルな呼び方というミスマッチな組み合わせは、東京ならではだろう。
■苗字で呼ばれるとくすぐったい
大学の同僚は「プロンコ先生」、あるいは「マイケル先生」、「マイケル」と呼ぶ。でもその呼び方は、年齢差や親しさとはほとんど関係がない。とても親しい同僚は、今でも「プロンコ先生」と言う。友情が深まるにつれ、その呼び名は皮肉っぽく冗談のように感じる。時々「名前で呼んでくれ」と言いたくなるが、それには繊細でバツの悪い交渉が必要になる。ならば、そのままにしておいたほうがいい。
地元のタクシー会社の無線担当者は私を「マイケルさん」として記憶している。けれども、わが家の表札には「プロンコ」としか書かれていないので、「マイケル」を迎えに来た運転手はうろうろする羽目になる。長い付き合いの編集者の何人かは「プロンコさん」と呼ぶが、同じ会社の別の編集者は「マイケル」と呼んだりする。同僚たちのなかには、英語で話しているときに他の先生に言及する場合、名前で呼ぶ人もいる。そんなときは考える。彼らは本当に親しいの? それとも英語の文化に合うように名前で呼んでいるだけ? 東京のその他の多くの謎と同様、真実は分からない。
コンピューターが状況をさらに悪化させているようだ。ときどき、同じジャンクメールを2通受け取ることがある。1通はマイケル・プロンコ宛て、もう1通はプロンコ・マイケル宛てという具合だ。
私の名前は各種の申請用紙とも相性が悪い。ヨドバシカメラのポイントカードを3枚持っていたことがある。それぞれ名前のパターンが違っていた。でも、3枚を1枚にまとめるのはダメだという。同じ住所に住んでいる別の人物だと思ったのだろうか?
名前を書く欄は、「姓」と「名」に分かれていることもあるが、一緒になっていることもある。それが落とし穴だ。分かれていないとおきは、姓と名のどちらを先に書くかを、自分で考えなければならない。ローマ字とカタカナが併記されているときには、ローマ字では名前が先で、カタカナでは姓が先(あるいはその逆)になっていることもある。
■成田で入国を拒否される?
銀行でATMカードを申し込もうとしたときのことだ。自分の名前はなんとか正しく書いたのだが、妻の姓名の順番を逆に書いてしまった。中国人の妻は普段名前を先に、姓を後ろに書いているが、銀行の口座ではその逆にしていたのだ。銀行員は疑わしそうな目で私を見て、「奥様がご自分でご来店してはいかがでしょう?」と提案した。
それにミドルネームの問題がある。私のミドルネームは「ジャクソン」。アメリカでは一般的な姓だが、名前としてもよく使われる。 コンマ1つで、どれが姓でどれが名前か変わり、永遠に正しい組み合わせは得られない。成田空港では、時差ぼけでいつも入国カードの姓名欄の記入を間違える。幸いなことに、、姓と名前を間違える外国人は多いのだろう。成田の入国管理官にとがめられたことはない。そうでなければ、私は2度と日本には入れないはずだ。
私自身もよく他人の姓と名前を間違える。電子メールのアドレス帳に登録された名前は、ローマ字、カタカナ、ひらがな、漢字と実にさまざま。ヨドバシカメラのポイントカードと同じように、1人の人が複数の名前で登録されていることもあるからだ。
日本が国際化するにつれ、名前の使い方はますます複雑になる。ジョイントベンチャーで働く元教え子は、イギリス人の上司を呼ぶときは「マーティン」なのに、日本人の経営者を呼ぶときは「佐藤社長」と言うそうだ。
いつか政府が名前の呼び方のルールを決める日が来るのだろうか。それはないだろう。東京人の関係は、その建物と同様、あまりに多様で1つのルールには収まらない。だからこう言おう。「マイケルと呼んでくれ」
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