コラム
酒井啓子中東徒然日記
欧米リベラル民主主義が直面する不安
今年初めに出た「フォーリン・アフェアーズ」誌を見て、ちょっと驚いた。「フォーリン・アフェアーズ」は、米国外交問題評議会が発行する国際政治経済問題に関するオピニオン誌である。
90周年記念号ということで、特集が組まれているのだが、そのテーマがthe Clash of Ideas、つまり「思想の衝突」というものだ。ファシズムから共産主義まで、いかに欧米諸国が対立する思想に打ち勝って自由主義・民主主義を維持、確立してきたか、歴史的な論文を集めて振り返っている。なんだか20年前の冷戦終結のときに組まれたような特集だなあ、と思いつつ、読んでいて気になったのが、そのトーンがあまり楽観的ではないことだ。
もちろん、いかにロシアやトルコなどの非欧米諸国にも自由と民主主義を広げるかという、ブレジンスキーの筆による「民主主義の旗手アメリカ」的な使命感にあふれた論考もある。しかし、その一方でジョージタウン大学のクプチャン教授の論文などは、驚くほど悲観的だ。なぜなら彼は、「グローバル化でリベラル民主主義がダメージを受けている」と考えているからだ。それよりも、中国のような閉鎖的で非民主的な国家資本主義のほうが、グローバル化された現代において優位にある、と指摘する。
つまり、欧米が追求してきたリベラル民主主義がダメなんじゃないか、限界にきているんじゃないか、という危機感があちこちに滲み出た特集になっているのだ。これは明らかに、ヨーロッパでの経済危機、米国での「ウォール街占拠運動」など、去年以降民主主義世界が直面し始めた諸問題を反映している。我々が実現した自由と民主主義は、果たして本当に我々が理想としたものだったのだろうか? 格差が生まれるのも貧困に陥るのも自由という、市場経済に基づく民主主義は本当に人々を幸福にしたのか? そして、我々が信じてきた代議制民主主義は、本当に人々の声を反映した政治を作り上げてきたのか?
さらに気になるのは、そうした不安が、ポピュリズムや衆愚政治などといった、過去に体験したことのある民主主義が陥りがちな罠に対して向けられているわけではない、という点だ。むしろ、「まだ見ぬ新しい思想」が出現して我々の慣れ親しんだリベラル民主主義のオルタナティブとなるのではないか、という不安が、上記のような自信のなさに繋がっているのではないか。民主主義を脅かしているのがファシズムやポピュリズムなどの「非民主主義」的な思想であれば、これまで同様、堂々とリベラル自由主義の価値を謳いあげればよい。だが、どうも「ウォール街運動」などで対抗的に出現しつつあるのは、そうした過去の敵とは異なるようだ。民主主義のなかから出現した民主主義への批判勢力に、今の民主主義国はどう対応すればいいのだろうか。
さて、そのようななかで「ウォール街運動」の先駆け的に発生した「アラブの春」の、その後の展開をどう見ればいいだろうか。非民主的な体制に「ノー」を突きつけ、政権転覆後は「民主化」が期待されたアラブ諸国だが、選挙の結果、あちこちでイスラーム政党の勝利が目立っている。
これを欧米の民主主義国は、「非民主主義的な敵」として有無を言わず否定するのだろうか。それとも「ウォール街運動」のように、「まだ見ぬ新しい思想、でも慣れ親しんだ民主主義と無関係なわけではない」と捉えて、なんとかうまく付き合っていこうと考えるのだろうか。
次回は、アラブ世界でのイスラーム政党の台頭が持つ意味を考えてみたい。
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