コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
産むべきか産まざるべきか......一人っ子政策緩和がもたらすもの
日本のメディアでは他の中国からの話題を排除してまで行われた、中国の三中全会(中国共産党中央委員会全体会議第3回会議)に関する報道。それが日本の一般読者にとってどこまで大事なんだろう、と思ったのは、わたしだけじゃないはず。でも、伝統的な中国報道の現場では、やはりこうした中国共産党による「何とか会議」は外せないという意識は強く、普通の日本人読者が読んでもよくわからないものがとても重視され続けている。
で、こちら中国でも、庶民の間では会議のことなどもうほとんど話題になっていない。唯一大きく注目されたのが一人っ子政策の緩和。経済体制や政治体制など結局は手が届かない話で、お上のやることを黙って受け入れるしかないが、我が家で子どもがもう1人産めるとなれば話は違う。文字通り「我が家の大事」いや「わが一族の大事」なのだから。
とはいえ、まだ実際の緩和が始まったわけではないが、三中全会の決定を受けて詳細が発表されれば、次々と各地で「親のどちらかが一人っ子の場合、2人目の出産が認可」されていくことになる。それを前に全国の、すでに子どもを持つ母親たちの間で「2人目を産むべきか産まざるべきか」というゆらぎが始まっている。
ある友人は携帯のチャットサービス「微信(WeChat)」上で「知り合いの出産適齢期ママたちの間で大議論が巻き起こっていた」という。「産むか産まないか」は公的の場で他人と議論するようなことではないはずだが、携帯のチャットアプリで情報を交換し合う世代のママたち(1979年生まれ〜)は生活事情も条件も環境もほぼ同じという場合も多く、だからこそ「産む」決断で直面する「問題」をみんなで多角的にシミュレーションできるのだそうだ。
実際のところ、外界でも大きく伝えられた一人っ子政策の緩和は、人口学者たちの多くが異口同音に「多少増えても、爆発的な増加にはつながらない。年間で200万人がせいぜい」と語っている。日本の人口からすれば年間200万人はかなりの数だが、現在13億の総人口を持つ中国からすればわずか0.15%。確かに大した数ではない。
今回政府が「一人っ子政策」緩和を決めた(というか、正確に言うと三中全会は中国共産党の会議なので決めたのは中国共産党なのだが)、その直接の理由は「労働年齢人口の減少が始まった」こと。中国はすでに労働人口のピークを過ぎ、経済メディア『財新網』によると、2012年の労働人口は前年に比べて345万人減少し、このままでは2023年以降は年間平均800万人のペースで減っていくという。だが、来年初めから一人っ子政策緩和が実施されたとしても増えるのは年間最大200万人ならば、実のところ10年後の800万人減というペースを挽回する手段とはいえない。
この状況を中国では「人口紅利を失ってしまう」(紅利はボーナスの意)と呼んでいる。技術力はなくても人手の多さという人海戦術ですべてを補ってきたこの国で労働力が失われれば、文字通り経済を「動かす」人手が減っていく。同時に人口の老齢化が進み、2013年の時点で2億人とされる60歳以上の老人の数が2030年には4億に達する見込みで、総人口に占める割合は現在の7分の1から4分の1にまで増大する。つまり来年生まれる子どもがようやく労働年齢に達した時にはもう4人に1人は老人ということになっている計算だ。
実はこの養老問題と、「2人目を産むべきか」で頭を悩ませる親たちの問題は根っこは同じだ。国の公共福利があまりにも「役に立たない」ことだ。
個人が納める養老年金の総額は2011年の時点で帳簿上では2兆元(約33兆円)積み立てられていることになっているが、実際に資金口座に残っているのはその約10分の1のわずか2千億元あまり(約3兆3千万円)だという。つまり、1.7兆元(約28兆円)が「行方不明」になっている。こんな管理で今後増え続ける老人たちへの支給はどうなっていくのか、いや自分が実際に支払ったお金がどこに消えていくのか、人々にはなんの説明もなされていない。
そのお陰で、最近ネットでは「自前の養老金」話題がブームだ。25歳で国に養老年金を納めずにその分毎月500元(約8500円)を貯金する。それを続ければ55歳の時には総額40万元(今のレートで約6000万円あまり)を超え、これを定期預金にした上で、5年後に退職金を受け取れば「国の手を煩わせずに暮らしていけるはず」だというのである。
そう、人々は社会主義国なのに、すでに「自前で暮らす」ことを常に考え始めている。
2人目の子どもを生む場合のシュミレーションでも、まったく同じパターンで若い夫婦は躊躇する。子供の学費、それもよい教育を受けさせるためのエクストラの費用、さらに養育費、ミルクだって国産の安いものでは安心できない。住宅ローンも残っているし、車もほしい。たまには外国旅行だって楽しみたい。2人目を産めば、教育費も養育費も倍を覚悟しなければならないし、手間暇も倍かかる、さらには家のスペースのことも考えなければならず、夫婦の親たちの老後も支えていかなければならない。
昔の中国人家庭は子沢山で年老いた親の面倒を「誰か」が見ていた。だが2人目を生むことを許された夫婦はどちらか1人は少なくとも一人っ子だ。子ども2人を抱え、どちらかの親、あるいは双方の親も抱え、自分の老後の心配をしなければならない...いまやっと消費生活を楽しめる様になった若夫婦にとって、それではあまりにもリスクが大きい。
結局、こうして「2人目を産む権利」を持つ人たちの多くが「1人で結構」という決断を下す。こうして人口問題の研究者が言う「増えても200万人がせいぜい」という数字がはじき出された。だが規制が緩和されるというのにこの悲観的な数字には真実味がある。というのも、今回2人目出産が許されたのは「夫婦どちらか片方が一人っ子」の場合だが、実際に現状では「夫婦ともに一人っ子」の場合はとっくに2人目の出産が認められている。だが、一人っ子世代が適齢期に入ってからも、出生率は大きく増えていない。間違いなく一人っ子世代は2人目を、彼らの親の世代ほど求めていないということになる。
一方で、農村で実施される暴力的な一人っ子政策がこのところ次々とメディアに報道されて人々の眼に入るようになった。だが、農村戸籍者が農村に縛り付けられる戸籍政策も今後緩和されると噂されている。それによって実際にじわりじわりと農村の都市化を進め、農業から商業へ、工業へと労働力の配置転換が行うという経済の底上げが計画されている。その結果、今後社会の都市化が進み、農村出身者でもだんだん、現在の都市労働者と同じように福利や年金の問題に直面する人が増えるだろう。やはりそこでも多産で生活を支えていくことが容易でないことが認識されるはずだ。
「こんなことになるなら、一人っ子政策なんてやらなかった方がマシだったんじゃないか」そんな声も漏れている。たとえ一人っ子政策を実施していなかったとしても、いわゆる「人口のボーナス」がいつまでも続くとはさすがに思えないが、総人口が多いだけに政策によるブレはあまりにも大きい。だが、どう見てもすでに労働人口の減少と人口構造の変化を食い留めるのは不可能なようだ。
それにしても、これまで海外では激しく「非人道的だ」と批判されてきた「一人っ子政策」緩和のニュース。子ども好きの中国人にとっては喜ばしいニュース扱いになるのかな、と思っていたら、その解説記事はどれもかしこも「人口のボーナス」「労働人口」という経済事情優先の語り口で、なんともはや、という気がする。
その陰でとたんに再び注目されたのが、今年春に流れた、映画監督の張芸謀氏に7人の子どもがいるというニュースだ。「一人っ子政策の下で7人も?」と人々を驚かせ、実際に海外で2人目や3人目を産む「カネ持ちや有名人」に対するやっかみとともに激しく攻撃された。
だが、意外にもこのところ浮上してきたのは、「御用映画監督に成り下がった張芸謀は嫌いだが、彼は自然な権利を遂行しただけ。彼は人間としての自由な権利の擁護者だ」という声だ。「法の下での平等性」よりも「理不尽な法に対する怒り」を論じる人たちが張芸謀氏を支持し始めた。「2人目を産みたくても経済環境が許さない。それが出来る人が産むことを制限する必要はないはずだ」という声もある。
もしかしたら、家族の関係や情愛といったことを話題にすることでこうした「自由意志」に触れ、その結果政府の「禁区」に入っていくのを避けようと、メディアは「労働人口」「人口のボーナス」といった経済理由で「産む、産まない」を語っているのだろうか? もしそうであるのなら、「出産は個人の自由な権利」と人々が叫ぶきっかけを作ってくれた張芸謀氏には感謝すべきなのかもしれない、わたしも映画監督の彼は嫌いだけど。
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