シェイクスピア「棺前の演説」挿絵 保科孝一編『大正國語讀本 修正再版 巻八』育英書院、1918年
維新後、欧米に伍することを目指した明治政府はそれを模した教育制度を整えようとした。そのため使われた教科書も、当初は外国の教科書をかなりの程度直訳した翻訳教科書だった。
国語教育もその例に漏れず、大きなウェイトを占めていた「読本」もアメリカのリーダーを翻訳したものが広く普及していた。つまり、もとをただせば私たちの「国語」とは翻訳という型によって決められたという面が多々あるということだ。
また、英語の教本も初期は外国のリーダーがそのまま用いられた。そうして見ると、国語と英語、まったくちがうものというわけではなく、西洋に接触した日本が、近代化のために導入した言語科目だったとも言える。
なお(あまり指摘されないことだが)国語と英語では過去、同じ(文学)教材が使用されていたケースもままある。教育効果の高い教材なら、言語の種類を問わず採用したくなるのが人情だろう。
『教科書の中の世界文学――消えた作品・残った作品25選』(共著、三省堂)は、戦後の検定国語教科書に採用された外国文学作品を時代ごとに、現在からさかのぼるかたちでまとめたアンソロジーだ。
そこでは主に戦後の外国文学教材が紹介されているが、ここでは、そこに至るまで、戦前の翻訳教材や外国文学教材について概観してみたい。
揺り戻しはあるものの、明治期の教育や教科書は西洋の教育や教科書の影響を強く受けていた。読本では、西洋の偉人の伝記(立志伝)や世界の歴史や地理についての啓蒙的な内容のものがよく用いられていた。
こういった初期の読本にも物語(フィクション)が収められており、その後長く用いられるようになったものもあるが、やはり読み物教材という面持ちであって、「外国文学作品」と言えるような作品性、作者性が発揮されているものは少ない。
明治期の文学教材のなかでも戦後にも連続性がうかがえるものをしめそう。ドイツの教科書を参考にしたと言われる官版読本である、文部省編集局編による『尋常小学読本』(明治20年)には「ろびんそん くるうそうの昔話」が収録されている。
これはもちろんイギリスの作家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の抄訳である。なお『ロビンソン・クルーソー』は戦後も国語だけでなく、英語の教科書でも教材として用いられた。
この『尋常小学読本』では、絶海の孤島に流れ着いたくるうそうは、「野蛮人」を鉄砲で撃ち殺したりするが、こういった描写や植民地主義は当然ながら戦後の教科書では批判されていくことになる。
vol.101
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