アステイオン

座談会

人柄と語り口が武器になる時代──「ネット論壇」は本当に可能か

2022年01月21日(金)15時55分
大内悟史+小林佑基+鈴木英生+田所昌幸+武田 徹

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小林佑基(Yuki Kobayashi)/1978年生まれ。読売新聞東京本社文化部記者(論壇担当)。一橋大学社会学部卒業。2001年読売新聞社入社。山形支局、東京本社地方部、文化部、長野支局などを経て、現職(2021年12月から富山支局デスク)。

■小林 ネット時代にもう1点重要なのは、「横書き」ではないでしょうか。新聞などの縦書きとは異なり、横書きでは口語体に近くなり、どんどんくだけていく印象があります。その先にあるのが、動画なのではないかと思います。「国際政治チャンネル」や「シラス」などを拝見すると、識者自身も生き生きと語ってます。

これは文字にとってはかなり脅威です。ただ、竹内洋さんが以前、古代のギリシャを振り返ると、知識人はもともと壇上からスピーチをして人々を説得していたと指摘していました。書く人が知識人となったのは、印刷革命以降にすぎない。最近の知識人は話がだんだん上手になってきており、昔に戻りつつあるのは、とても楽しみである、と。

実際、佐藤優さんや池上彰さんなど、今売れている著者の本は、語り口調が多いですよね。もちろん語りおろしの本も多いのでしょうが、人々もそういうものを求めているのだと思います。

しかし、インターネットでは即応的なやり取りになり、知識人とされる方々のツイートもかなり粗くなっています。データやエビデンスのみを重視し、「論破」して終わりといった、相手をたたき潰すような発言が左右とも多くなっていると感じます。

言論状況を何とか中庸に持っていくため、考えてもらう場を提供する役割が紙媒体にはやはりあるのだと思います。それが論壇のあるべき姿ではないでしょうか。

■鈴木 お2人のご指摘どおり、声の力やパーソナリティが受け入れられることによって、動画では強者になっていくのだと思います。

しかし、テキストや声など生データをただそのまま流すのではなく、編集、つまり第三者を媒介したところに論壇は存在してきた。そういう意味でもやはり、そう簡単には「ネット論壇」はあり得ないだろうと思いました。

しかしその一方で、「朝まで生テレビ」「報道特集」「News23」などで知識人がコメンテーターを務めていたのはどうだったのか。テレビが単にウェブ上に変わるというだけのものなのか? とも思いました。

少なくとも、「動画論壇」は従来の論壇の役割をすべて果たせるものではなく、また何らかの別の場所は必要になるのだと思います。

これからの『アステイオン』に必要なこと

■田所 それでは、『アステイオン』はどうでしょうか? 厳しいご意見などもうかがえればと思っています。

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