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出版社を退職し、物書きになって12年。「ご専門はなんですか」と聞かれることが増えた。確かに、本として執筆した題材をざっと挙げても、動画の倍速視聴、ポテトチップス、アニメや漫画の評論、離婚した男性へのインタビュー集と、まったく一貫性がない。
しかし作家の高橋源一郎氏は、自身のラジオ番組に筆者をゲストとして呼んでくれた際に、こう指摘してくれた。
「あなたのやっていることは、要するに考現学ですよね」
考現学とは考古学に対する比較的新しい概念で、現代の社会現象や風俗を調査・考察するもの。日本での第一人者は柳田國男門下の今和次郎で、赤瀬川原平らが「路上観察学会」として行っていた都市のフィールドワークも、考現学の活動として知られている。
なるほど、合点がいく。
自著で最も売れた『映画を早送りで観る人たち』は、映画やドラマを倍速視聴する人たちにヒアリングし、そのような習慣の浸透が現代社会の何を表しているのか考察したメディア論、コミュニケーション論、世代論、創作論、文化論という建て付けだった。
2023年に上梓した『ポテトチップスと日本人』は、最もポピュラーなスナック菓子の時代ごとの新商品や消費のされ方を追うことで、戦後日本の変化を浮き彫りにする、というものだった。
『美少女戦士セーラームーン』『ドラえもん』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を論じた自著は、作品自体の評論ではなく、それらの作品に心酔していた読者の世代的特徴や連載されていた時代を考察するもの。
離婚経験者への取材では、いまだ親世代の昭和的・封建的家族観の呪縛に苦しむ日本人男性の「有害な男らしさ」を炙り出した。
これらはすべて「特定の作品や現象をつぶさに観察することで、その作品や現象を生み出した日本社会のありようを捉える」本であり、題材は違っても目的は同じ。きわめて考現学的なアプローチだったのだ。
このように具体的な事象から社会のありようを大つかみで捉えようとする際、あるひとつのキーワードが、その時代の空気やパラダイムをごっそり包摂してしまうことがある。その瞬間の社会の状況を、奇跡的にワンワードで「言い当てて」しまうことがある。
2010年代で言えば「保育園落ちた日本死ね」「#MeToo」などがそうだろう。
手前味噌ながら、拙著『映画を早送りで観る人たち』が使用したことで2022年以降一気に浸透した「タイパ」もそのひとつだ。コストパフォーマンス(費用対効果)ならぬタイムパフォーマンス(時間対効果)。
精神的にも時間的にも経済的にも余裕のない現代人のメンタリティを、これほどまでに表した造語はあるまい。