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「タイパ」はなぜ浸透したのか?...「保育園落ちた日本死ね」に「#MeToo」、現代人の心を捉えた奇跡的ワンワードの正体

2025年02月26日(水)11時00分
稲田豊史(ライター、コラムニスト、編集者)

これら、世の中の新しい動きや事象を言い表すためにメディアが作り出した、あるいは普及に一役買った言葉を、博報堂ケトルのファウンダー・嶋浩一郎氏は「社会記号」と呼んだ。「ロハス」「草食系男子」などはその典型である。

ただし、メディアあるいは広告代理店界隈が意気揚々と提唱したにもかかわらず、浸透しなかった社会記号「もどき」もある。「E電」(JR東日本が1989年の国鉄民営化時に提唱した「国電」に代わる愛称)や「バスケットボールストリート」(渋谷センター街の愛称。治安が悪いイメージを払拭するため11年に提唱された)がそうだ。

浸透する社会記号と浸透しない社会記号「もどき」は、何が違うのか。思うに、浸透した社会記号は少なくとも2つの必要条件を備えている。

まず、もともと人々の中に存在していたモヤモヤが、そのワードによって鮮やかに「輪郭」を引かれたという点だ。一向に改善しない待機児童問題も、女性が長年被ってきた性被害も、現代人の余裕のなさも、「保育園落ちた日本死ね」「#MeToo」「タイパ」が簡潔かつ鮮やかに表している。

人々はこの言葉を口にするごとに、「自分のモヤモヤをたった一言で効率的に言い当てている」という快感に浸ることができた。

対して「E電」や「バスケットボールストリート」に、そんなモヤモヤはない。そこにあるのは、単に横文字略称ならクール(死語)であろうとか、スポーツとしてのバスケットボールなら健全イメージを付与できるであろうといった薄っぺらい見通しだけだった。

2つめは、そのワード自体に「思想」が込められており、さらに「正解」まで提示されているという点だ。

「保育園落ちた日本死ね」には、日本社会に対する深い恨み、もっと言えば「恨むに値する相手なのだから、皆もっと怒っていい。罵詈雑言を飛ばしていい」という「思想的正解」が与えられており、ここに大衆は安心して「乗る」ことができた。

「#MeToo」にも同様に「怒りの声を挙げる」という「思想的正解」に「乗る」ことの正当性が担保されている。喩えは悪いが、浮気した芸能人ならSNSで一斉に叩いていいという空気に大衆が安心して「乗る」ことができるのと、構造は同じ。

「タイパ」の場合、その発祥たる「コスパ」に端緒がある。文化的で豊かな生活を送る人生でありたいと願う「文化系」の人たち(高偏差値のホワイトカラーで、メディア関係者やアカデミズム界隈に多い)には、そもそもコスパ至上主義的な価値観を蔑んでいる下地がいくばくかあった。

曰く、「コスパばかり追求する人間は品性に劣り、人生は貧しく、芸術的豊潤からは程遠く、惨め」。そこにきて、芸術の一翼を担う映像作品を倍速視聴する輩がいるらしい。「けしからん!」そんな蔑視混じりの苛立ちを駆動させるトリガーが、「タイパ」には仕込まれていた。

「三省堂現代新国語辞典 第六版」には「タイパ」の説明として、「なるべく多くの見返りを得たいという現代的な発想が根底にある」とある。文化的な気高さをもって生きたいと願う「文化系」の彼らにとって、「見返り」は明らかに侮蔑語だ。

すなわち、「タイパ」には、蔑んで然るべきという「思想的正解」が辞書的な意味においても仕込まれていた。だからマスメディアは「タイパ」を記事中で取り扱う際、「時に立ち止まってじっくり味わってみてはどうか」的な、老害スレスレのテンプレ説教を安心してぶつことができた。

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