しかし、「輪郭」や「言い当て」はともかく、なぜ「思想的正解」の提示まで必要なのか。それは、現代人が──それこそタイパ志向で──ある情報やニュースに接した際、自分の頭「だけ」で考えるのを徹底的に避けたがるからだ。
それが端的に現れているのが、ネットニュースの「コメント欄」である。
スマホのニュースアプリなどでニュースの見出しをタップすると、本文冒頭の数行に続く「続きを読む」ボタンを挟み、そのニュースについたコメントが先に表示される。最上位のコメントは、多数の「いいね」がついた匿名投稿者のもの、もしくは識者による解説だ。
つまり本文を最後まで読んで自分の頭で意見をまとめる前に、「世論の優勢」が確認できてしまう。現在のネットニュースでは主流の仕様だ。
現代人は、この仕様にすっかり慣れきってしまった。まずニュースを読み、ノーヒントでそれについて思考する前に、「どの意見が優勢で、どの意見に乗っておけば世間から攻撃されないか」の「正解」をつい求めてしまう。
浸透する社会記号はモヤモヤに「輪郭」を引く快感を与えてくれるだけでなく、コメント欄のごとく、世論的優勢が何なのか、何に対してなら罵詈雑言を浴びせても「世間」から咎められないかを、簡潔に教えてくれるのだ。
ちなみに「思想的正解」は、拙著の書名にも一応仕込んでいる。
『映画を早送りで観る人たち』は、本の内容を正確に表すなら「動画を倍速視聴で観る理由」という書名とすべきだが、そうはしなかった。
「映画」(という芸術すら雑に消費する人たちへの苛立ち)、「早送り」(という「倍速視聴」よりずっと雑な消費活動という印象)、「人たち」(が醸す、理解しがたい人種に対する蔑視的距離感)を書名に込めることで、倍速視聴者を罵倒したい勢、あるいは時間に追われて倍速視聴している者に対し、あなたたちが抱いている反発心や後ろめたさは妥当ですよ、という「思想的正解」を仕込んだのだ。
『ポテトチップスと日本人』の副題は「人生に寄り添う国民食の誕生」である。このポジティブワードにより、同書はポテトチップスをジャンクフードとして糾弾する本ではなく、持ち上げているのだということを書名の時点で示した。
と同時に、「日本人」「国民食」によって、一部の日本人が大好きな「俺たち日本人すごい」「日本が独自に発展させたガラパゴス的文化は『プロジェクトX』的な意味において誇らしい」といった気分をも肯定した。これも「思想的正解」の提示だ。
ところで、自身物書きとしてはいまだに専門が定まる気配はないが、社会記号よろしくワンワードで自分を文脈ごと説明できる肩書きが見つかれば、もう少しマスコミに重用されて売れっ子になったりするのだろうか?
稲田豊史(Toyoshi Inada)
1974年生まれ。横浜国立大学経済学部卒業後、映画配給会社、出版社を経て2013年に独立。主な著書に『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)、『ポテトチップスと日本人』(朝日新書)、近著に『このドキュメンタリーはフィクションです』(光文社)がある。
『アステイオン』101号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CCCメディアハウス[刊]
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