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※この座談会は、『アステイオン』編集委員会委員長の田所昌幸氏と「アカデミック・ジャーナリズム」特集責任編集者の武田徹氏が各新聞社の論壇担当記者と行ったもの。
※転載にあたり一部改変している。
※前編:総合雑誌から新書、そしてネットフリックスへ──拡大し続ける「論壇」 より続く。
■田所 以前、読売新聞の書評欄を担当していて、ある若い学者の書籍を取り上げました。まったく面識のない人でしたが、突然お電話をいただき、会ってほしいと出版社の人と一緒にやってきました。
とても感謝されたので、「良かったと思ったから書いただけです」と申し上げたところ、査読を通って英国の学術誌に論文が掲載されたり、学会賞を取ったと言っても田舎の両親は「へえ」と言うだけで全然感心してくれなかったけど、「おまえの本が読売新聞に出たぞ」と田舎で大騒ぎになった、と。
たくさんの人に読まれる意義をばかにしてはいけないなと思いましたね。実際、ジャーナリズムに出過ぎて本業を疎かにしている学者もいますし、学問の世界ではマスコミで活躍する人を、やっかみもあって軽蔑する傾向もあり、大事なのは同業者や専門家コミュニティの評価だという意識があります。
やはりアカデミズムとジャーナリズムは互いの仕事を尊重しながら一緒にやっていくべきだと思っています。
■大内 大学の研究者は、この10~20年で圧倒的に忙しくなっています。特に若手や中堅の方はキャリアについて悩んでいます。同様に、僕たち記者もどんどん忙しくなり、今後のキャリアに悩んでいます。
忙しくなる要因の1つはデジタル版にロングバージョンの記事を出していることです。ネットではインタビュー形式のほうが読まれやすい傾向があるようで、紙の新聞の記事をもとに長い記事を配信すると反応がいいし、取材先の識者も喜ぶので自分も手間暇をかけたくなる......(苦笑)。すると、仕事の量がおのずと増えていきます。
■小林 先ほどの田所先生のご指摘ですが、確かにアカデミズム側にはマスコミに出る学者を軽蔑する風潮もあるようにも感じます。それもあって一部の学者にメディアの取材が集中してしまうのだと思います。しかし、それは不幸なことではないでしょうか。
また、若い研究者は論文を次々に書いて業績をつくらなくてはいけないため、全体について語る知識人が育ちにくくなっている。これが10年、20年続くとどうなってしまうのだろうかと思います。
やはり、アカデミズムには本業の研究以外に、大きな物語や全体の見取図を提示してもらいたいと考えます。時代を切り開いていくような言葉や考え方を生み出せるのがアカデミズムで、ジャーナリズムにはそういう知識人に伴走し、応援していく役割があると考えています。
■田所 確かに「大きな物語」や「大きな見取図」の提示は、アカデミシャンとしての責任でもあると私も思います。鈴木さんは、この点はいかがでしょうか。
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