コラム

規制と開発の「いたちごっこ」...大麻グミ問題から見る、危険ドラッグ取締りと活用の歴史

2023年12月04日(月)16時30分

ところで、合成麻薬を取り巻く近年の状況は、悪いことばかりではありません。

米カリフォルニア大サンフランシスコ校などの研究チームは、トラウマになるような強烈な恐怖体験で引き起こされる心の病「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の症状改善に、MDMAを薬として使うと効果的であると発表しました。研究成果は医学誌「ネイチャー・メディシン」に本年9月に掲載されました。

米国では毎年約5%の人が発症しているPTSDは心理療法が有効とされていますが、患者にも治療者にも負担が大きく、治療プログラムを最後まで終えられない人が多いと言います。そこで、従来の心理療法とMDMAの投薬を組み合わせる「MDMA補助療法」が考案され、臨床試験が行われました。

中度から重度のPTSD患者104人を対象にMDMAを投薬する群と偽薬を投薬する群に分けて1回8時間の治療を月1回、3カ月間実施して、治療プログラムを完了できた94人について評価しました。その結果、MDMAを投薬した群では87%の人の症状が大きく改善し、46%は治療終了後に寛解しました。また、治療プログラムの脱落者もほぼいませんでした。

研究チームは「MDMAは向社会的な感情を生み出し、恐怖の刺激への反応を和らげることで、心理療法の恩恵を受ける力を高める可能性がある」と分析し、MDMAをPTSD治療薬として米食品医薬品局(FDA)に申請する方針です。

麻薬成分を医療に応用するために欠かせないこと

実はオーストラリアでは、アメリカに先駆けて本年7月1日に、MDMAと麻薬成分シロシビンを含むマジックマッシュルームの医療目的での使用が承認されました。とはいえ、FDAの承認は世界各国が追従する可能性が高いため、カリフォルニア大の研究成果は意義があります。

また、マジックマッシュルームは、PTSDやうつ病に対する効果だけでなく、ニコチン依存症やアルコール依存症の改善、死期が近い患者の死への恐怖を和らげる作用なども報告されています。もっとも、麻薬成分を医療に応用するためには、服用量や持続性、依存性などに関するさらに多くの研究が必要となるでしょう。

日本でも近い将来、規制薬物や危険ドラッグが心の病の治療に活躍するかもしれません。けれど、医師や訓練されたスペシャリストが個人ごとの適量を計算し、厳密で計画的な投薬プログラムが不可欠となるでしょう。

「大麻グミ」は祭りで個人が配っていました。日本でも、リラックスや高揚感をうたって個人売買されている商品の中には、現在は法規制されていなくてもグレーゾーンの麻薬成分が入っていたり、危険な不純物が完全には取り除けていなかったりする場合があります。

自らの意思で麻薬取引をするのは論外ですが、ワールドワイドな個人間取引を手軽にできる現代は、意図せずに麻薬成分を摂取することがないようにもっと慎重に自衛する必要がありそうです。

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プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

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