コラム

ノーベル賞受賞はなくてもスゴかった! 2023年日本人科学者の受賞研究

2023年12月30日(土)17時15分

とりわけ、がん治療では実用化が目前です。

体内では、血管と細胞の間には50ナノメートルよりもずっと小さな隙間があります。この隙間を通して、細胞は必要な酸素や栄養素を取り込みます。一方、がん細胞では周囲に血管が発達し、がん細胞との間に100ナノメートル程度の隙間ができます。そこを狙って抗がん剤を搭載したナノマシンを投与すると、正常な細胞は隙間が小さいのでナノマシンが通れず、がん細胞の周辺にだけ入っていきます。つまり、がんの患部に選択的に抗がん剤を届けることができます。これまでは、抗がん剤だけをそのまま投与すると、正常な細胞の小さな隙間も通れるので、抗がん剤が正常な細胞まで損傷してしまうという問題がありました。

また、脳には血液脳関門という異物をはじくシステムがあり、脳の患部に効率的に薬を届けることが難しかったのですが、ナノマシンの技術を使うと、カプセル部分を脳が能動的に取り込む「グルコース」に擬態させることで効率的に届けることができるといいます。

◇ ◇ ◇
  

「受賞者がノーベル賞を獲得する可能性が高い賞」と言えば、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞の名も上がります。約半数の受賞者がノーベル生理学・医学賞を受賞しています。日本人では利根川進氏(米マサチューセッツ工科大教授)、山中氏がノーベル賞に先行して受賞してしますが、23年は日本人の受賞はありませんでした。

イスラエルのウルフ賞は、生理学・医学部門はノーベル賞、ラスカー賞に続く3位、物理部門と化学部門はノーベル賞に次ぐ権威があると言われています。日本人のノーベル賞受賞者では、生理学・医学部門で山中氏、物理学部門で南部陽一郎氏(米シカゴ大名誉教授)と小柴昌俊氏(東京大学特別栄誉教授)、化学部門で野依良治氏(名古屋大学特別教授)がこれまでに受賞しています。

23年2月、ウルフ賞化学部門に新たな日本人受賞者が現れました。

3.菅裕明

東京大学大学院理学系研究科化学専攻教授

「特殊ペプチド創薬」という概念の提唱者です。「生物活性ペプチドの創製を革新するRNA触媒の開発」により、23年ウルフ賞化学部門を受賞しました。ウルフ財団は「従来の方法だけでは不可能だった大規模で複雑な分子の構築が可能になった」と評価しています。

菅氏は「特殊ペプチド(アミノ酸化合物)」と呼ばれる概念を提唱しました。あらゆるアミノ酸およびアミノ酸誘導体を任意のtRNAと結合させることができる人工のRNA触媒「フレキシザイム」を開発し、1つの試験管内で医薬品の候補となりうる兆単位の特殊ペプチドをライブラリ化することに成功。さらに特殊ペプチドライブラリーから、標的分子に結合する特殊ペプチドを選択する、独自のスクリーニング手法も編み出しました。

特殊ペプチドは、従来の低分子医薬品、抗体医薬品(モノクローナル抗体)に次ぐ第3の医薬品として期待されています。低分子医薬品には結合すべきでない分子にまで結合しやすく副作用がでやすい、抗体医薬品には分子量が大きく生体免疫反応が置きやすかったり経口投与が困難だったりするという問題点がありました。中分子医薬品に分類される特殊ペプチドは、これらの問題点を低減できると言います。

菅教授らが開発した特殊ペプチドの関連技術は現在、各国の大手製薬企業に技術移管され、創薬が進められています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、米が中印関係改善を妨害と非難

ワールド

中国、TikTok売却でバランスの取れた解決策望む

ビジネス

SOMPO、農業総合研究所にTOB 1株767円で

ワールド

中国、米国の台湾への武器売却を批判 「戦争の脅威加
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 2
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足度100%の作品も、アジア作品が大躍進
  • 3
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...どこでも魚を養殖できる岡山理科大学の好適環境水
  • 4
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 5
    ジョンベネ・ラムジー殺害事件に新展開 父「これま…
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 8
    「時代劇を頼む」と言われた...岡田准一が語る、侍た…
  • 9
    ゴキブリが大量発生、カニやロブスターが減少...観測…
  • 10
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 9
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 10
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story