コラム

月面重力下では筋の質が変わる──宇宙マウス実験の恩恵は一般の人にも?

2023年04月25日(火)11時30分
月面とISSのイメージ

月の重力は地球の6分の1(写真はイメージです) HAKAN AKIRMAK VISUALS-iStock

<JAXAと筑波大などの研究チームは、ISSでマウスを3種類の重力環境下で1カ月間育てる実験を実施。ヒラメ筋の量と質の変化を解析した結果、初めて明らかになったのは──>

NASA(米航空宇宙局)は現在、アポロ計画以来となる有人月面探査プロジェクト「アルテミス計画」を進めています。この計画には欧州宇宙機関、カナダ宇宙庁、オーストラリア宇宙庁などが参加し、もちろん日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)も参加しています。本年2月に、アルテミス計画を見据えた新しいJAXA宇宙飛行士候補が2名選ばれたことも記憶に新しいでしょう。

アルテミス計画の目標は、単に月への有人飛行を成功させることではなく、月に探査拠点を作り、人を常駐させることです。その場合に大きな問題となるのが、地球の6分の1である月の重力の低さがどのように人の健康に影響するかです。

JAXAと筑波大などの研究チームは、ISS(国際宇宙ステーション)でマウスを3種類の重力環境下(微小重力=0に近いマイクロG、月面重力=1/6G、人工地球重力=1G)において約1カ月間飼育しました。姿勢の保持に働くヒラメ筋の量と質の変化を解析したところ、月の重力では地球の重力で生活した場合と比べて筋量は変わらないものの、筋質が変わって疲労しやすくなることが分かりました。研究成果はオープンアクセスの学術誌「Communications Biology」に4月21日付で掲載されました。

月面基地の構想は、アルテミス計画だけでなく中国やロシアによっても打ち立てられています。いずれのプロジェクトでも、少なくとも2030年頃までには基地を建設したいとしています。意外と近い将来に実現しそうな人類の月面生活。人が宇宙で生活した時の健康状況の基礎となる研究の詳細を見ていきましょう。

世界で唯一の装置を駆使したマウスの宇宙飼育ミッション

今回の実験は、ISSにある「きぼう」日本実験棟で行われました。

使用したのは、JAXAが17年に開発した可変人工重力研究システム「MARS」です。ターンテーブルの回転数を変えることで、微小重力から1Gまでの人工重力環境を作り出してマウスの飼育ができる、世界で唯一の装置となっています。

これまでに行われた宇宙飛行士や動物の研究では、微小重力しかない宇宙空間では骨格筋のヒラメ筋(足のふくらはぎにある筋肉)が急速に筋萎縮(量的変化)したり、筋線維のタイプが速筋化(タイプⅠの減少、タイプⅡの増加による質的変化)したりすることが分かっていました。けれど、微小重力と1Gの間のどこの重力環境下で変化が起きるのかは明らかにされていませんでした。

ちなみにヒラメ筋は「抗重力筋」の一種で、地球の重力に対して姿勢を保持するために働く筋肉です。地球上では、たとえば寝たきりになると筋量の減少や遅筋化(タイプⅠの増加、タイプⅡの減少)が起こり、強度の高い筋トレをすると速筋化が引き起こされます。速筋は瞬発的に大きな力が出せますが疲れやすく、遅筋は大きな力は出せませんが持久力があって疲れにくいという特徴があります。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英BP、第2四半期は原油安の影響受ける見込み 上流

ビジネス

アングル:変わる消費、百貨店が適応模索 インバウン

ビジネス

世界株式指標、来年半ばまでに約5%上昇へ=シティグ

ビジネス

良品計画、25年8月期の営業益予想を700億円へ上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 3
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 6
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 7
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    トランプはプーチンを見限った?――ウクライナに一転パ…
  • 10
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story