コラム

ブタからヒトへの心臓移植に見る「異種臓器移植」の可能性

2022年01月25日(火)11時25分
ブタ

ブタとヒトの心臓はサイズが近い(写真はイメージです) kadmy-iStock

<チンパンジーでもヒヒでも羊でもなく、どうしてブタなのか? ヒトに対する異種臓器移植の歴史を辿り、実用化することの利益とリスクについて考える>

アメリカのメリーランド大学医学部の研究チームは1月10日、ブタの心臓を人間に移植することに世界で初めて成功したと発表しました。使用したブタの心臓は10カ所の遺伝子を改変して、拒絶反応が起こりにくいようにしました。動物の臓器を人間に移植する「異種臓器移植」は、慢性的な臓器ドナー不足の解消に繋がると期待されています。

移植を受けたのは、重度の心不全と不整脈で2001年から体外式膜型人工肺(ECMO)を使っていたメリーランド州のデビッド・ベネットさん(57)です。症状が重いため、通常の心臓移植や人工心臓ポンプの対象にならず、ブタの心臓を移植する以外の治療法では回復が見込めない状態でした。そこで、FDA(アメリカ食品医薬品局)は2021年12月31日、人道的措置として承認前の「ブタの心臓をヒトに異種移植する手術」に緊急承認を与えて、1月7日にベネットさんへの手術が行われました。

研究チームは過去5年間で「ブタの心臓をヒヒに移植する手術」を約50回も行ってきました。それでも手術前に、ベネットさんは「この手術は実験的で、リスクと利益は分からない部分もある」と十分な説明を受けました。

術後2週間が経ちましたが、ベネットさんの容態は安定しており、術後直後は併用していたECMOを外せました。移植されたブタの心臓は、薬剤による刺激も使わずに正常に動いているということです。

ヒトからヒトに臓器移植する同種移植に対して、動物からヒトに臓器を移植する場合は「異種移植」と呼ばれます。どのように発展してきたのか、歴史を辿ってみましょう。

ヒヒやチンパンジーからの移植も試みたが...

ヒトに対する異種臓器移植の研究は、1960年代に本格的に始まりました。もっとも動物の臓器をそのままヒトに移植しようとしても、移植された臓器は異物とみなされて「拒絶反応」が起こります。なので、当初の異種臓器移植は、人間に近いヒヒやチンパンジーから移植するという考えでした。

世界初のヒトに対する異種臓器移植は、1963年に米国でチンパンジーからヒトに腎移植されたものです。12名の患者のうち、1名は9カ月生存しましたが、多くは激しい拒絶反応で数時間から数日で腎機能を失い、死に至りました。

1964年には、米国でチンパンジーの心臓がヒトに移植されました。6名に移植されましたが、5名は数日内に死亡し、1名だけが9カ月生存しました。同年には同じく米国でヒヒの腎臓移植も行われましたが、移植された6名全員が2カ月以内に死亡しました。

その後も、チンパンジー、ヒヒ、羊、ブタを使って心臓、腎臓、肝臓の異種臓器移植は行われますが、結果は芳しくありませんでした。1990年代にもヒヒやブタの肝臓がB型肝炎患者に移植されましたが,いずれも患者は拒絶反応などで死亡しました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

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