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背中を売ってタトゥーを刻む『皮膚を売った男』の現実性
さらに、タトゥーや入れ墨は、皮膚に傷をつけて色素で着色し、絵柄や線を半永久的に残す技法です。除去したい時は切除手術やレーザー照射など大がかりな施術が必要となり、しかも完全に元通りの状態に戻すのは困難です。
ちなみに、タトゥーと入れ墨の言葉の使い分けには厳密な定義はありません。比較的浅く彫ってアート性が高い洋風の柄をタトゥー、深く彫った和風の柄を入れ墨と呼ぶことが多いようです。刺青は入れ墨と同じ意味で使われますが、江戸時代にはなかった言葉です。彫物師を主人公とした谷崎潤一郎の小説『刺青(しせい)』が1910年に発表されて以来、刺青と書いて「いれずみ」と読むようになりました。
魔除け、美しさの象徴、個体識別、忠誠の証、罪人の烙印...
日本ではマイナスイメージが付きまとう入れ墨ですが、その歴史は繁栄と衰退の繰り返しでした。
入れ墨の風習は、縄文時代の土偶の顔面や身体に線が刻まれていることから、縄文晩期(3500年前頃)には始まっていたと考えられています。記録に残っているもので最も古いものは、弥生時代の倭人(古代の日本人)について書かれた『魏志倭人伝』(3世紀)で、「男子皆黥面文身」との記述があります。黥面とは顔の入れ墨、文身とは身体の入れ墨のことです。当時の入れ墨は、魔除けや呪術的な意味で施されていました。
けれど、6世紀に大陸から儒教が伝来すると、入れ墨文化は徐々に廃れていきます。儒教の思想では、身体を傷つけることを厭うからです。奈良時代から安土桃山時代までは、入れ墨はほぼ廃れます。とはいえ、アイヌ民族や琉球の人々の間では魔除けや美しさの象徴として、儒教と反目していた密教僧らは仏法への帰依の証とその加護を得る目的で、戦国時代の武士や漁師の間では住所や名前を個体識別のために入れ墨をするなど、入れ墨の技術は一部では継承されました。
江戸時代になると、遊女たちが馴染み客への愛の証に、相手の年の数をホクロのような形で入れ墨したり、相手の名前を「◯◯命」と身体に刻み込んだりする風潮が現れます。これらの流行は、やがて侠客にも忠誠の証として伝わります。その後、ふんどし一丁で仕事をする鳶や飛脚が着物の代わりに入れ墨を身にまとうようになり、図柄は大きく、複雑にとアートとして発展を遂げます。
いっぽう、8代将軍・徳川吉宗は1720年に、治安が悪化していた大都市の犯罪抑止力のために、中国の明王朝で行われていた黥刑(罪人に入れ墨を施す刑罰)を取り入れました。身体に消えない「罪人の烙印」を刻む際、罪人がどこで罪を犯したのかがわかるように、藩や地域ごとに入れ墨のデザインは異なっていました。
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