コラム

背中を売ってタトゥーを刻む『皮膚を売った男』の現実性

2021年11月16日(火)11時25分
「TIM」

映画『皮膚を売った男』に影響を与えたヴィム・デルボア氏の作品「TIM」 By Lynette Woods from Australia - Tim (Tattooed Man), CC BY-SA 2.0

<タトゥーに興味はあっても、一生身体に残ってしまうことには抵抗を感じる──では、1年で消えるタトゥーがあったとしたら?>

今年のアカデミー国際長編賞にチュニジア代表としてノミネートされた映画『皮膚を売った男』が、11月12日の「いい(11)ヒフ(12)の日」に公開されました。

映画の中で、シリア難民のサムは恋人と会うために芸術家に自分の背中を売り、タトゥーが施されます。サムは自らが「アート作品」になることで、大金を得て、「美術品」として国境を越えることを選んだのです。美術館に展示されるサムには、思いも寄らない事態が次々と起こり、次第に精神的に追い詰められていきます。驚きの結末も待ち受けている、見どころの多いサスペンス作品です。

この映画は、ベルギー出身の現代芸術家ヴィム・デルボア氏が2006年に発表した作品「TIM」に影響を受けています。

豚にタトゥーを施した作品で一躍有名人となったデルボア氏は、ある日、偶然出会った女性に「新作を創るために、『人間キャンバスになってもいい』と言ってくれる人物を探している」と切り出しました。彼女が恋人のティム・シュタイナー氏にその話を伝えたところ、彼は予想外に乗り気になりました。

シュタイナー氏の背中はデルボア氏にキャンバスとして提供され、刺青を施した作品「TIM」が生まれました。2008年には美術品コレクターのリク・ラインキング氏が15万ユーロで「TIM」を買い取ってオーナーになり、「キャンバス」のシュタイナー氏は売り上げの3分の1の5万ユーロを受け取りました。

買い取りの条件は、シュタイナー氏が亡くなったらタトゥーが彫られた背中の皮膚を剥がして、額に入れて飾られること。シュタイナー氏の存命中は、背中のタトゥーが見えるように、上半身が裸の状態でいろいろなギャラリーに出向いて展示室に座るという契約も結びました。

シュタイナー氏は今年44歳です。「リアル・皮膚を売った男」が背中のアートを見せる人生は、まだまだ続きそうです。

同じ立場になった時に、あなたは自分の背中をタトゥーのキャンバスとして売るでしょうか。短期間ならば「自分がアート作品になる体験は楽しそうだ」と考える人もいるかもしれません。

けれど、日本では未だにタトゥー(入れ墨)はアウトローのイメージが強く、「他人に不快感を与える」として、大半の入浴施設で入場禁止の対応を取られています。人前では隠すものという価値観が根強く、今年1月にはボクシングの井岡一翔選手のタトゥーが試合中に露出したことで厳重注意の処分を受けたことも記憶に新しいでしょう。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米陸軍長官、週内にキーウ訪問へ=ウクライナ大統領府

ワールド

米財務長官、FRBの金利管理システムを批判 「簡素

ワールド

EU、フィンランドに対する財政赤字是正手続き提案を

ワールド

OPECプラス30日会合で生産方針維持か、重点は各
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ成長株へ転生できたのか
  • 3
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後悔しない人生後半のマネープラン
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    放置されていた、恐竜の「ゲロ」の化石...そこに眠っ…
  • 7
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    使っていたら変更を! 「使用頻度の高いパスワード」…
  • 10
    トランプの脅威から祖国を守るため、「環境派」の顔…
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 7
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 8
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 9
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 10
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 8
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story