オスカーはキャンペーンがすべて、を覆して候補入りした『ドライブ・マイ・カー』の凄さ
アメリカの『Drive My Car』のポスターから
<オスカーはキャンペーンがすべてと信じられるようになってずいぶん久しいが、投票者はしっかり見ていた......>
アカデミー賞のノミネーション発表に、いくつかの驚きがあるのは毎回のこと。今年は、日本映画の『ドライブ・マイ・カー』が作品部門を含む合計4部門でアカデミー賞にノミネートされたことが、まさにそれだった。
もちろん、これ自体は、業界の中にいてここまでの経緯を見てきた人には意外なことではない。オスカーノミネーションに先立ち、今作は、ニューヨーク映画批評家サークル、L.A.映画批評家協会、全米映画批評家協会の3つから、外国語映画賞を飛ばして作品賞を受賞している。過去にこの3つの団体すべてから作品賞に選ばれたのは、『グッドフェローズ』『シンドラーのリスト』『L.A.コンフィデンシャル』『ハート・ロッカー』『ソーシャル・ネットワーク』の5本だけで、これらはすべてオスカーの作品部門にノミネートされているのだ。
また、3月13日に発表される英国アカデミー賞でも、『ドライブ・マイ・カー』は、非英語映画部門に加え、監督、脚色部門にもノミネートされている。つまり、この映画は、外国語であるという壁を乗り越えて高く評価されているわけで、批評家や実際に投票した人にしてみたら、当然の結果にすぎない。
目立ったキャンペーンはほとんどなかった
だが、別の意味で、この快挙は驚きなのである。今作はほとんどキャンペーンにお金をかけてこなかったのだ。ハリウッドにおいて、アワードキャンペーンは、実にシリアスなビジネス。アワードシーズンが本格化する秋頃から、なんらかの投票権をもつ人たちのところには、何度にもわたって試写の案内が来たり、視聴リンクが届いたり、作品のロゴが入ったマグカップやTシャツなどが送られてきたりする。出演者や監督が出席するレセプションなどイベントも開催されるし、作品の宣伝メールはひっきりなしに届く。
街を歩けば(L.A.の場合は、街を運転すれば、というほうが正しいが)、賞狙いの映画の看板がぞろりと並んでいる。L.A.の有名な大通り、サンセット・ブルバードは、Netflixが大部分の看板を占拠していて、もはやNetflixブルバードと呼びたいほどだ。業界人が読む「Variety」「The Hollywood Reporter」などのサイトはこれらの広告でぎっしりだし、「L.A. Times」も同様。とりわけ、『ROMA/ローマ』が作品賞受賞ギリギリで逃した年は、Netflixのキャンペーン攻勢が猛烈で、『ROMA/ローマ』の広告を最低10回見ることなく1日を過ごすのは不可能なほどだった。
試写が行われた小さな劇場は満員だった
NetflixやAmazonほどお金は使えなくても、たいていの作品は、小さいながらも何かやる。だが、『ドライブ・マイ・カー』の場合は、ほとんど見ないのである。今作は昨年春のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞しており、オスカーでも健闘できるはずと早くからわかっていたはずなのに、視聴リンクが来たのも、映画のアメリカ公開が目の前に迫った頃になって、やっとだった(筆者は放送映画批評家協会賞/Critics Choice Awardsに投票権を持っている)。
だが、上映時間が3時間あるだけに、これはリンクで見るより劇場での試写で見てもらうべきではないのかと思っていたら、映画がニューヨークで公開された直後の12月頭に、投票者に向けた数回の試写の案内が来た。それですぐに予約をし、行ってみると、小さめの劇場とはいえ、満員だったのである。この時までに、今作はすでにカンヌに加え、ゴッサム・アワードの国際長編映画賞を受賞していたため、業界人は関心を持っていたのだろう。そして、それらの人は3時間の上映中、誰も席を立たなかった(当たり前に聞こえるかもしれないが、業界人はシビアなので、映画がひどいと途中で出ていく人を見かけるのも珍しくない)。これは確実に人々の心に響いていると筆者が最初に感じたのは、この時だ。