バブル期に「空前の好景気」の恩恵を受けた人はどれだけいた?
重箱の隅をつつくようだが、たとえばこれは真実とはかけ離れている気がする。というのも私自身、小学校高学年から中学生にあたる1970年代半ばあたりに、どこかの雑誌で「合コン」「合ハイ」の存在を知って衝撃を受けたのだ。
そのとき、「大学生って、みんなでハイキングに行くとか、そんなつまらないことをしているのか! そんなの、ちっともおもしろくないじゃん!」と強烈なインパクトを受けたのではっきりと記憶しているのである。
まぁ、どうでもいいことといえばそれまでだが、資料としての雑誌をあたるだけでは、このようなことになっても不思議ではないということだ。
とはいえ、(矛盾しているように思われるかもしれないが)「よく調べてある」こともまた事実ではある。雑誌の記事を表層的になぞっているだけでなく、奥の奥まで探っていることがわかるのだ。そのため、そこかしこに説得力が生まれている。それが、本書の不思議なところだ。いい例が、仕事に対する若者の意識を取り上げた部分である。
当時の就職を控えた大学生は、仕事に対してどのような意識を持っていたのか。『読売新聞』1989年8月6日付では、人材派遣会社のテンポラリーセンターによるアンケート結果を紹介している。これによれば、会社を選ぶとき重視することは、男女とも「仕事内容」が1位で、男子32%、女子28%。2位は男子が「実力が発揮できる職場」(22%)、女子が「職場の雰囲気」(26%)だった。そして、「ハードでもやりがいのある仕事」か「楽で負担の少ない仕事」どちらを選ぶかという問いでは、男子では100%、女子でも96%が前者を選んでいる。
この結果から見えてくるのは、ハードでもやりがいのある仕事が得られれば、内面的な満足を得ることができるという確信の存在だ。物質的な満足は後から着いてくる(原文ママ)であろう安心感がこの時代の常識だったのである。だからこそ、より仕事に打ち込むことで自己実現しようとする意志が、強く働いていたのだ。こうした意識こそがバブル時代の経済を支えていたといえる。(167ページより)
ただ、景気がよくなって給料が多少あがっても、一般のサラリーマンは「金持ちになった」という感覚を得られてはいなかった。一部の業種では、経費が潤沢かつ、多忙であるために給料は使うことなく、経費だけで生活をしているような者もいた。だが、あくまで一部である。つまり、当時の実感としては、忙しくて給料も入ってくるけど、接待やらなにやらで長時間拘束されるので使う暇もないという者。かたや、イマイチ恩恵を受けていない者もいたのである。(171ページより)
「イマイチ恩恵を受けていない者」であった私は、ここにきてようやく納得できる部分に出合えた。しかし、それはともかく、読み進めながらずっと頭から離れないことがあった。「本書は誰に向け、なんのために書かれているのだろうか?」ということだ。
雑誌の情報をもとに書かれているのであれば、先に指摘したとおり誤解も生まれるし、当時を生きた人間にはあまり響くとも思えない。かたや現代の若者にとっても、どこか絵空事のように映ってしまうのではないかということだ。