バブル期に「空前の好景気」の恩恵を受けた人はどれだけいた?
しかし、6章「バブル再考・最高・再興」まで読み進めた結果、著者の思いが理解できた気がする。本書は、この章のために書かれたといっても過言ではない。とりわけ心に響いたのは、「陽気でギスギスしていなかった時代の空気」というパラグラフである。
圧倒的な消費文化に浸かっていたとはいえ、バブル時代は恋愛なら恋愛のためにと、もっと純粋に欲望へと向かうことのできる時代だったのではないか。それに比べて、現代は徹底的に面倒くさい時代になってしまっているように感じる。
常に見られているのは常識である。バブル時代ならば限られた人が「バカなヤツもいるもんだ」と笑って終わったであろう他人に迷惑をかける行為も、SNSで「晒され」れば、とめどもなく「炎上」する。
人間を自由にするはずだったネットの発展は、かえって面倒なものばかりを生み出してしまっている。筆者もインターネットメディアで記事を執筆する機会が増えたが、きちんと読んでいるのか読んでいないのか、文脈を読み取ることができないのか。意味不明な批判や揶揄に直面するのが日常となった。
その結果か、世の中で起きている出来事の表面を舐めただけで、あたかもすべてを知っているかのような安直さが、世の中に広がっているように感じる。
これは、バブル時代もたいした違いはない。(中略)しかし、今振り返ると、当時あった「悪いこと」は、いずれ良い方向へ向かうから、まあいまは仕方がない、程度のものだった。昨今話題になることの多い他民族への差別感情にしても、同じ差別をするにしてもそれは同情的な感情が混ざっていたし、他者が本来持つ価値を評価しつつ、それを発揮できていない状況をあざ笑うというもの。差別という意味合いが、少なくとも今とは異なったものだった。(255~256ページより)
ネット炎上の話題や他民族への差別感情にまで話が飛躍することには少し驚いたが、つまり現代においても、バブルの時代に流れていた鷹揚さこそが求められるべきだと著者はいいたいのだろう。
いずれにしても、第5章の終わりまでは漠然としていた思いが、この最終章を読んだ時点で大きく変わった。その"軽さ"から笑いのネタにされがちなバブルカルチャーを、「差別」のあり方を比較しながら語る手法は見事だというしかない。
だから、著者がこののち「バブル時代を再興しなくてはならない」と断言していることにも納得はできる。もちろんそれは意図的に用いられた表現であり、現実的にバブル再興は不可能だろう。しかし、閉塞した時代だからこそ、バブル時代の貪欲な精神性は求められるべきだという考え方である。
歴史のなかで不変なのは、変わらない日常が続くなかで、人が「より自分らしく生きたい」という想いを持つことだと著者は主張する。これだけは、バブル崩壊後も変わらず続いているとも。
バブルは決して単なる狂乱の時代ではなく、人間が自由を求め続けた祭りの時代であった。(267ページより)
著者が「ひとまずの結論」としているこのフレーズを読んで、「こんな時代に非現実的だ」と憤りを感じるだろうか? だとすれば、それはきっと違う。こんな時代だからこそ、先の引用にもあったように「バカなヤツもいるもんだ」と笑って終わらせればいいだけの話なのだから。そして、そんな余裕こそが必要なのだから。
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダヴィンチ」「THE 21」などにも寄稿。新刊『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)をはじめ、『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)など著作多数。
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