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生命倫理報じられなかった山中教授の快挙
iPS細胞の功績は医学面だけではなく「ノーベル倫理学賞」にも値する
快挙 ノーベル賞授賞が発表された後、記者会見に応じる山中 Lehtikuva-Reuters
京都大学の山中伸弥教授は幹細胞の研究に没頭していた。だが従来の胚性幹細胞(ES細胞)は受精卵を壊して作らねばならず、倫理的な問題に触れるのは避けたい。そこで彼が開発したのが、06年に米科学誌セルで発表したiPS細胞(人工多能性幹細胞)。iPS細胞は皮膚などの体細胞から作製でき、受精卵を破壊することなく作れる万能細胞だ。
この発見で山中は先週、ノーベル医学生理学賞を受賞した。だが授賞を発表したノーベル賞委員会も、その後の報道も山中の功績の半分しか語っていない。山中の挑戦は実験室だけにとどまってはいなかった。それは倫理観への挑戦でもある。
07年のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、山中が自身が探るべき研究の道を決めたのは、友人の不妊治療クリニックで受精卵を顕微鏡で見たときだった。「その受精卵と私の娘たちに、どれだけ大きな違いがあるのかという思いが芽生えた」と、山中は振り返る。「もう研究のために受精卵を破壊してはいけない。ほかの道があるはずだと思った」
とはいえ山中の信念も絶対的なものではなかった。09年、アメリカのオバマ大統領がES細胞研究に対する政府助成を解禁した際、山中はこれを公に支持。07年には科学誌で、自身の迷いについてこう語っている。「患者の命は受精卵よりも大事だ。それでもできることなら受精卵を使う研究は避けたい」
09年から今年にかけて、山中は米ラスカー賞、稲盛財団の京都賞、フィンランドのミレニアム技術賞と、国際的な賞を3つ受賞しているが、そのいずれもが彼の研究における倫理観の重要性を評価した。
ところが今回、ノーベル賞委員会は山中の倫理観に関する功績については一切触れなかった。メディアの報道も同様だ。CNNは一切言及せず、ニューヨーク・タイムズに至っては、山中の研究をほかの幹細胞研究技術と同類に扱い、「科学者が自然の領域に踏み込み人工的に生命をつくり出すことに、倫理的または宗教的に懸念を抱く人々から反発を招いている」と書いた。
だがこれは間違っている。山中があの論文を発表して注目を集める前から、人工妊娠中絶反対派(生命は受精したときから始まるとの立場)は彼の研究を熱烈に支持していた。ローマ法王庁も何年も前から期待を込めて彼の研究を見守ってきた。
そして今、山中はついにノーベル賞という栄誉を手にした。幹細胞論議における保守派を喜ばせるのが嫌だからといって、倫理観の功績から目をそらすべきではない。
山中は幹細胞論議をまったく新しいものに変えた。病人の命を救うことと受精卵を守ることのどちらが大切なのかという呪縛から私たちを解き放ち、幹細胞研究を支持する人々と生命倫理を擁護する人々の両方が勝者になれる道を開いてくれた。生命倫理学者でES細胞研究の支持者であるジュリアン・サバレスキュの言葉を借りれば、山中は「ノーベル医学生理学賞だけでなくノーベル倫理学賞にも値する」のだ。
[2012年10月24日号掲載]