核廃絶は世界の平和を破壊する
朝鮮半島、ベトナム、中南米などで代理戦争はあったが、5000万~7000万人の死者を出した第二次大戦に匹敵する大国同士の総力戦は1度も起きていない。
そして冷戦終結後は、戦争による殺戮自体が大幅に減った。核保有国は直接衝突を注意深く回避してきたし、今後も回避し続けると信じる理由は十分にある。
ニアミスは何度かあったが、こうしたケースを詳しく見ると逆に安心できる。当事者となった指導者たちの性格や状況は千差万別だったが、いずれも戦争の回避という同じ結論に達したからだ。
核戦争の寸前までいった代表的な例として、キューバ危機を見ててみよう。62年10月の13日間、アメリカとソ連は互いに相手を破滅させると脅し合った。だが戦争になれば最悪の相打ちに終わると悟ると、両国ともぎりぎりの瀬戸際で身を引いた。
重要なのは両国が引き下がった理由だ。ソ連のフルシチョフ第一書記の側近だったフョードル・ブルラツキーは後にこう語っている。「核戦争に勝利することは不可能であり、両国とも恐らく初めてその事実に気付いた」
それ以降も、同じパターンが繰り返された。最近の好例はインドとパキスタンだ。両国は47年に分離独立して以来、98年に核兵器を保有するまで3度の血なまぐさい戦争を経験した。核を手に入れた後も両国の敵対意識に変化はなかったが、行動は一気に軟化した。
ならず者を信用できるか
パキスタンのテロリストが01年と08年にインドを攻撃するなど、核武装後もインドとパキスタンは何度か挑発し合ったが、戦争は1度もしていない。99年、カシミールで小競り合いが起きたときも両国は慎重に戦闘の拡大を抑え、相手側の重大な国益を脅かさないように注意した。
インディアナ大学のスミット・ガングリー教授(政治学)は、インドとパキスタンの当局者の思考は62年の米ソのそれと驚くほど似ていると指摘する。両国政府は核による破滅の危機に直面し、回避措置を取ったというのだ。
これに対して「核悲観主義者」は、過去にこのパターンが有効だったとしても、将来も有効だと考えるのは危険だと主張する。理由はいくつかある。まず、いま核を欲しがっているのは極めて不安定な国々であり、こうした国家の指導者が核武装したときの判断力を信頼するのは愚かだというものだ。
例えば、変人ぶりを遺憾なく発揮してきた金正日(キム・ジョンイル)総書記の北朝鮮。あるいはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)はなかったと主張し、イスラエルの破壊を宣言したマフムード・アハマディネジャド大統領のイラン。アハマディネジャドについては、「核による消滅」を歓迎する殉教思想の持ち主と指摘する専門家もいる。両国は究極のならず者国家であり、自己抑制するならず者などいないというのが悲観派の主張だ。
しかし金正日とアハマディネジャドは、かつてのソ連や中国の指導者よりも恐ろしい暴君なのか。フルシチョフはアメリカを葬り去ると脅した。中国の毛沢東主席は57年にアメリカとの核戦争について、「人類の半分が死んでも......世界全体が社会主義になる」から悪いことではないと言い放った。
北朝鮮とイランはテロを支援しているが、ソ連と中国もそうだった。自己破壊願望について言えば、ソ連のスターリンと毛沢東は約2000万人の自国民を死に追いやった張本人だと、ノートルダム大学のマイケル・デシュは語る。
しかしソ連も中国も、最終的には「核による自殺」を思いとどまった。おそらく現代のならず者国家も同じだ。アハマディネジャドは危険な道化師だが、イランはイスラム体制の存続に関わる問題では常に理性的で現実的な判断を下してきた。
79年の革命後、イランは1度も戦争を仕掛けていない。必要ならアメリカやイスラエルとの取引にも応じ、サダム・フセインが始めたイラクとの戦争に勝てないと悟ると、和平を受け入れた。
一方、北朝鮮は小さく貧しい「家族経営」の国で、侵略された過去がある。彼らにとっては体制の存続が最優先であり、好戦的な姿勢を強めても、やがて必ず態度を変えてくる。イランも北朝鮮もひどい圧制国家だが、自己破壊願望があるようには見えない。