2人が北朝鮮外交官の子供だという以外は何も知らないと、ISB関係者(匿名を希望)は本誌の取材に答えている。「わが校ではあれこれ尋ねたりしない」
この2人の少年のうち1人は、金正日の次男・正哲(ジョンチョル)だった。もう1人のとりわけ年長に見えたほうはボディーガードだ。正哲はバスケットボールに夢中で、特にNBAのシカゴ・ブルズの大ファンだった。もっとも選手としてはいまひとつで、ISBのバスケットボール部に入部できたのはボディーガードのほうだった。
「パク・チョル」という偽名で通していた正哲は、控えめなおとなしい少年だったようだ。本誌はISB関係筋を通じて、6~7年生の頃に正哲少年が作った詩を入手した。「僕の理想の世界」と題する詩はこんな一節で始まる。
「僕の理想の世界をつくっていいのなら、武器や原爆をなくす。ハリウッドスターのジャン・クロード・ヴァン・ダムと一緒にテロリストを全滅させる。人々がドラッグを使うのをやめさせる」
「僕の父親は幽霊だった」という題名の短編小説も書いている。父親が霊のふりをして自分に付きまとうという意味深長な内容だ。
複数の情報によると金正日は正哲について、ソフト過ぎて権力の座に就くのに適さないと見なしていたようだ。一時は、長男の正男(ジョンナム)が後継最有力候補と目されていた。しかし正男は01年に、ドミニカ共和国の偽造パスポートで日本に密入国しようとして拘束された(すぐに強制退去処分)。東京ディズニーランドを訪れるのが密入国の目的だったという。
以来、正男は報道陣の問い掛けに対し、政治には関心がないと繰り返し述べている。明らかに太り過ぎの(糖尿病を患っているとの説もある)正男は、政治よりブランド品を身に着けることに関心があるようだ。アルマーニのキャップに、バーバリーとポロ・ラルフローレンのシャツやサングラスという姿でマカオに出没する様子がたびたび目撃されている。
最も情報が少ないのが、三男の正雲(ジョンウン)だ。米情報機関筋(情報収集活動に関する話題であることを理由に匿名を希望)によると、正哲と同様に正雲も子供時代にスイスに留学経験があるという。
元専属料理人の信憑性は疑問
正雲に関してメディアで最も引用される情報源は、金正日の元専属料理人だったという藤本健二だ。01年に北朝鮮を逃れて日本に戻り、近年は謎に包まれた金一族の暮らしぶりをメディアで紹介している人物である。
藤本によれば、金正日は三男の正雲をことのほか気に入っているらしい。「正哲は気が弱くていけない。正雲は自分と似ている」と、あるとき金正日が幹部たちの前で述べたという。
藤本が韓国の日刊紙「中央日報」に語ったところでは、金正日は正雲を「スケールを大きく」育てた。幼い頃から酒を飲ませ、7歳のときには早くも(座席の高さを調節して)メルセデス600を運転させていた。12歳のとき「小さなお兄さん」と妹に呼ばれて、正雲が大きな声で怒ったことがあったという。「大将同志」と呼ばれることを好んだようだ。
国民の暮らしのことも(ファッションほどではないが)気に掛けていた。18歳のときには、「私はいつもジェットスキーに乗ってマリンスポーツをしたり、インラインスケートや乗馬などをしたりしているが、一般国民は何をしているのか」と言っていたという。
もっとも、藤本の言葉をどこまで信用できるかは疑問だ。藤本はカネと引き換えでないとマスコミの取材に応じない(本誌は取材を申し込んだが、カネは払わないと言うと断られた)。
それに、これまで語った情報のなかにはつじつまが合わないものもある。藤本は子供時代の正雲とされる写真をマスコミに公開しているが(本人から直接もらったのだという)、本誌の調査によれば、別人と判断してほぼ間違いない。それと同じ写真がベルンのISBの記念アルバムに韓国人少年の写真として掲載されている。
素性を隠すために韓国人だと嘘をついていた可能性もあるが、写真の少年の学友や教師は本誌に対して、そうは思わないと語った。その少年には、兄の正哲に付き添っていたような運転手やボディーガードもいなかった。それに「親愛なる指導者」の息子がよりによって韓国人のふりをするとは考えにくいと、一部の北朝鮮問題専門家は指摘している。