コラム

初の「ネット選挙」、留意点はどこか?

2013年06月11日(火)13時34分

 公職選挙法が改正になり、7月21日が投開票になりそうな参議院選挙から、いわゆる「ネット選挙」が解禁になります。本当の試行錯誤は「まず実際に1回やってみてから」ということなのでしょうが、その「まずやってみる」今回の参院選を「どう見てゆくか」ということは、今後へ向けて制度を修正してゆく上で重要だと思います。

 ちなみに、アメリカの場合は1990年代にインターネットが普及して以来、特に選挙に関わる「ネットの規制」ということを行わずに来ています。ですが、ネット選挙を禁止しようというような「深刻なトラブル」こそなかったものの、大小様々な「ネット選挙の事件」は限りなく起きており、そうしたケースを参考に「想定できる」ことを考えてみたいと思います。

 今回は、議論の最初として2点を取り上げます。

 1つ目は、動画と写真の問題です。今回のネット選挙では、制度を詰める中で、主としてメールに関心が集中していたように思われます。スパムのような大量送付を防止するとか、「なりすまし」を防止するといった問題です。ですが、過去のアメリカの事例などを考えると、メールの悪用によって「選挙が歪められる」危険性というのは限られているように思われます。

 日本の場合も、メールというメディアはある意味で成熟していて、例えば「怪しいスパム」とか「怪文書めいた表現」などというのは、有権者は「平気でスルー」するのではないかと思われます。特に特定の政治的な立場からの「ポジショントーク」であるとか、誹謗中傷にしても立場性の濃いものは、すぐに見抜かれるのではと思います。

 問題は、写真や動画です。アメリカでは、色々な事例があります。例えば2006年の上院議員選挙で「当確」と思われていた当時現職のジョージ・アレン候補(共和)が、遊説中にポロッと失言をしてしまったのを動画サイトにアップされ、アッという間に拡散する中で支持率が下がって敗北するという事件がありました。

 失言というのは、街頭演説の際に、群衆の中にいたインド系の男性を指して「マカカ(サル)がいる」という意味不明の、しかし明らかに人種差別的なニュアンスのセリフを言ってしまったのです。このほんの瞬間的な動画の映像が、有力な大統領候補とまで言われた共和党のスター政治家の政治生命を奪った(2012年には復活して再度出馬しましたが落選)わけで、ネットメディアの恐ろしさを語るエピソードです。

 同じように「1つの動画で政治生命を断たれた」という例では、2004年初頭に民主党の大統領候補を目指していたハワード・ディーン候補のケースがあります。ディーン氏は、前年の夏以来、「ブッシュのイラク戦争を公然と批判」することでブームを起こしていたのですが、選挙の年に入って失速気味の中、政治集会で「やたらハイテンションの絶叫」をやってしまい、その「絶叫」の部分だけが何度もTVで放映される中で完全に支持を失っています。その後のディーン氏は、公職を狙う位置に返り咲くことはありませんでした。

 ネットを味方にするという意味では、オバマ大統領は勝者中の勝者と言われていますが、2008年の選挙では、かなり危ない場面がありました。というのは、恐らくは反対派の工作と思われますが、「オバマ・ガール」と称して、モデルのような美女を様々な形でオバマに接近させて、セクハラという印象を与えるような写真を狙っていたのです。途中で陣営が気づいて警戒態勢を取ったので事無きを得ましたが、効果的なアングルから「決定的な」ショットを撮られていたら、どうなっていたかは分かりません。

 とにかく動画や写真というのは、ある種「決定的なショット」を撮られてしまうと、文脈も政治的立場も抜きで有権者に強い印象を与えることが可能になります。だからといって、遊説中にスマホでの動画撮影を禁止するわけにも行かないわけで、各候補者はどんな時にもスキを見せない緊張感を強いられるでしょう。

 2点目は、投票日ギリギリのタイミングでのメディア動向という問題です。アメリカの場合は、ネットでの選挙運動には何の規制もありませんから、ツイッターやフェイスブックによる「期日前投票の呼びかけ」であるとか、投票日当日の活動なども一切が自由です。その結果として、「有権者を直接投票所まで行かせる」ダイレクトな活動が行われ、またそれが有効だとされています。

 その一方で、アメリカの選挙の場合は投票日前の終盤には「大勢が固まるとなかなか動かない」という傾向があります。有権者がギリギリの意思決定はせず、少し早めに投票行動を決めること、その背景には家族や友人関係の中で「誰に投票するか?」という話題が開放的かつ真剣に語られるというカルチャーがあります。ですから、直前になって「新しい情報を流して逆転を狙う」という候補者はあまりいないのです。

 心配なのは日本の場合は事情が逆だということです。最近の日本の投票行動、特に無党派層の場合は「孤独な判断をギリギリに下す」という傾向が見られます。従って、投票日直前に「サプライズ」が起きると、これに投票行動が引きずられる危険が大きいのです。また、アメリカのように何十年も前からTVを使った「どぎついネガティブ・キャンペーン」に有権者が慣れているということもありません。また日本の場合は、無党派層そのものの比率が大きいのも気になります。

 選挙制度に関しては、公示後には制約が強化され、投票日当日には何もできないように設計されていますが、今回の「解禁」を契機として「脱法的に」投票直前のタイミングで「ショッキングな情報を流す」ことで形勢逆転を狙うような陣営が出ないとも限りません。

 例えば、相手陣営の「スキャンダル情報」であるとか、前述の「ダメージになりそうな動画や写真」を入手した場合に、わざと伏せておいて投票日前日などに流すという戦術は、誰かが仕掛けた場合には「選挙結果を歪める」ことが可能になってしまいます。目に余るようであれば、制度を手直しして「直前の反論を可能」にするなどの措置も必要になると思います。

 それ以前の問題として、仮に候補者の側に「スネに傷がある」という自覚があるのであれば、「直前に暴露された」ということになるよりも、ドンドン先に自分から悪材料を出していく方が、はるかにダメージを抑えることができるかもしれません。

 ネット選挙に関しては、「こうしたら違法」とか「一般人もこれをやったらダメ」といった、法令の形式的な順守から「逸脱するな」というメッセージばかりが目につきます。ですが、以上の2点をはじめとして、実際に選挙結果を歪めるような問題をどうやって防止するか、折角のネット選挙を活かすためにも、そうした「本筋」の議論が必要ではないでしょうか。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も

ワールド

米加首脳が電話会談、トランプ氏「生産的」 カーニー

ワールド

鉱物協定巡る米の要求に変化、判断は時期尚早=ゼレン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 5
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 6
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 9
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story