コラム

オバマ、その粘りの秘密

2009年12月22日(火)17時35分

 12月21日へと日付の変わった午前1時過ぎ、アメリカの議会上院は難航していた医療保険制度改革の最終案とりまとめへ向けての決議を60対40で可決しました。これで、積年の課題であった国民皆保険に近い制度の実現へと大きく前進したのは間違いありません。早ければ、クリスマスイブの24日の前に、上下両院の新妥協案が一本化され、一気に法案可決ということもあり得る、そんなドラマチックな展開になってきています。

 この医療保険制度改革については、公約に大きく掲げて当選したオバマ政権ですが、7月以降に審議が本格化する中では、保守派の抵抗が大きく、一時はメドのつきそうもない迷走ムードになっていたこともありました。オバマ大統領自身も9月上旬に上下両院議会演説を開いて支持を訴えており、この時だけはやや支持が持ち直していたのですが、その後は議会が迷走、その様子に引きずられるように大統領の支持率も低下していました。

 賛否が分かれていたのは「パブリック・オプション(公営保険)」で、オバマ大統領と議会下院は強く支持している一方で、共和党との妥協を模索し続けた上院では早い時点で「パブリック・オプションは導入せず」という姿勢を見せていました。このまま進むと、上院の妥協案が固まっても、妥協しすぎだということで大統領や下院は姿勢を変えない危険があったのですが、今回、決議が可決された時点での祝賀ムードの下では、もはや大統領も下院も「乗らないわけにはいかない」わけで、上院案との一本化は意外に早く進みそうな気配です。

 では、一時は劣勢と言われたオバマ政権は、どうして今回も「綱渡り」に成功しつつあるのでしょうか? 1つにはオバマの時間感覚、とりわけ「土壇場で帳尻を合わせて締め切りを守る」という感覚がうまく働いているという点を挙げたいと思います。例えば、就任直後の一連の金融危機対策、景気刺激策などでも、勿論この時点では事態が一刻を争う危機だったということもありますが、とにかくタイムリーな意志決定が出来ていたように思います。その際にも優等生的にスケジュールを守るというよりも、ギリギリまで検討を続けて最後は時間のプレッシャーを利用して合意形成に追い込むという手法を使っています。

 中でも印象に残るのは、6月29日のGMの破綻です。一度提出されたリストラ案を突き返したり、最終締め切りを何度か延ばしたりした結果、この6月末には泣いても笑っても真剣なリストラ案を出せという「最後通告」をしています。その結果として、GMは破綻に追い込んだのですが、株式市場にはそのショックは伝染せず、社会への影響は最小限に抑えられています。こうしたスケジュール管理法、特に締め切りのプレッシャーをかけて仕事をさせたり、世論を巻き込む仕掛けについて、やはりオバマ大統領の能力は卓越しているように思います。

 その背景には、オバマも学んだ、アイビーリーグ以下のアメリカの大学における「スケジュール管理と締め切りの感覚」というカルチャーがあると思います。アメリカの大学では、レポート類の提出締め切りは極めて厳格です。提出はメールを使い、現在では場合によっては「論文の盗用をしていないことを認証する第3者サイト」を経由するよう義務づけられることもあります。そして例えば12月5日が締め切りであるならば、12月5日の深夜23時59分までが「オンタイム」であり、午前0時を過ぎたものは「遅延提出」として減点になるのです。

 締め切りを守らせるというと、イエスマン的な小粒な優等生を量産しているようにも見えますが、必ずしもそうではありません。土壇場になって泥縄式にやるのではなく、早々に骨格を固めておきながら、ギリギリまで質の向上、精度の向上を狙って「あがく」学生が良しとされるのです。オバマの時間感覚には、こうした大学教育の影響が感じられます。

 年が明ければ、アメリカ社会は別の形で進んでいくかもしれません。少なくとも景気回復の兆候がハッキリした時点で、大統領は更に新しい政策に着手してゆくと思います。その際に例えば、エコカーの環境基準設定であるとか、国内の雇用改善であるとか、場合によっては保護主義的な政策も出してくる可能性もあるでしょう。特に、大統領自身が「締め切り」を切って進めてくる時には、注意が必要だと思います。イニシアティブを完全にアメリカに握られてしまっては、日本は得意分野での能力発揮が難しくなるからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

「ザラ」のインディテックス、秋冬物の販売急増 株価

ワールド

ベトナム、上流のダム放流を懸念 中国外務省「氾濫防

ワールド

アングル:中国、アフリカ債務免除に踏み込まず 新た

ワールド

イスラエルがヨルダン川西岸空爆、少なくとも5人死亡
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ニュースが分かる ユダヤ超入門
特集:ニュースが分かる ユダヤ超入門
2024年9月17日/2024年9月24日号(9/10発売)

ユダヤ人とは何なのか? なぜ世界に離散したのか? 優秀な人材を輩出した理由は? ユダヤを知れば世界が分かる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    アメリカの住宅がどんどん小さくなる謎
  • 2
    クルスク州「重要な補給路」がHIMARSのターゲットに...ロシアの浮橋が「跡形もなく」破壊される瞬間
  • 3
    非喫煙者も「喫煙所が足りない」と思っていた──喫煙所不足が招く「マナー違反」
  • 4
    エリート会社員が1600万で買ったマレーシアのマンシ…
  • 5
    運河に浮かぶのは「人間の手」? 通報を受けた警官…
  • 6
    強烈な炎を吐くウクライナ「新型ドローン兵器」、ロ…
  • 7
    「まるで別人」「ボンドの面影ゼロ」ダニエル・クレ…
  • 8
    川底から発見された「エイリアンの頭」の謎...ネット…
  • 9
    「生後45日までの子犬、宅配便で配送します」 韓国ペ…
  • 10
    米大統領選でトランプ・バンス陣営を襲う「ソファで…
  • 1
    「まるで別人」「ボンドの面影ゼロ」ダニエル・クレイグの新髪型が賛否両論...イメチェンの理由は?
  • 2
    森ごと焼き尽くす...ウクライナの「火炎放射ドローン」がロシア陣地を襲う衝撃シーン
  • 3
    国立西洋美術館『モネ 睡蓮のとき』 鑑賞チケット5組10名様プレゼント
  • 4
    【現地観戦】「中国代表は警察に通報すべき」「10元…
  • 5
    「令和の米騒動」その真相...「不作のほうが売上高が…
  • 6
    エルサレムで発見された2700年前の「守護精霊印章」.…
  • 7
    「私ならその車を売る」「燃やすなら今」修理から戻…
  • 8
    強烈な炎を吐くウクライナ「新型ドローン兵器」、ロ…
  • 9
    メーガン妃の投資先が「貧困ポルノ」と批判される...…
  • 10
    世界最低レベルの出生率に悩む韓国...フィリピンから…
  • 1
    ウクライナの越境攻撃で大混乱か...クルスク州でロシア軍が誤って「味方に爆撃」した決定的瞬間
  • 2
    寿命が延びる「簡単な秘訣」を研究者が明かす【最新研究】
  • 3
    エリート会社員が1600万で買ったマレーシアのマンションは、10年後どうなった?「海外不動産」投資のリアル事情
  • 4
    電子レンジは「バクテリアの温床」...どう掃除すれば…
  • 5
    ハッチから侵入...ウクライナのFPVドローンがロシア…
  • 6
    年収分布で分かる「自分の年収は高いのか、低いのか」
  • 7
    日本とは全然違う...フランスで「制服」導入も学生は…
  • 8
    「棺桶みたい...」客室乗務員がフライト中に眠る「秘…
  • 9
    「まるで別人」「ボンドの面影ゼロ」ダニエル・クレ…
  • 10
    ウクライナ軍のクルスク侵攻はロシアの罠か
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story