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Picture Power
写真の新たな飛躍を感じて---日本の新進作家たち
Photographs by 日本の新進作家 vol.10より
写真の新たな飛躍を感じて---日本の新進作家たち
Photographs by 日本の新進作家 vol.10より
日々どれほどの写真に出会うだろう。目に入った膨大な量の写真が発する情報の多くは、私たちに浅い記憶を植え付け、あるいは何も残さずに過去へと流れていく。そんな写真に対しての受動的な態度が揺さぶられるのは、東京・恵比寿の東京写真美術館で開催中の「日本の新進作家 vol.10 写真の飛躍」(1月29日まで)だ。目の前に見えてるものは一体何か、今ここにある写真を能動的に「見る」ことを求められる。
北野謙(上のスライドショー1番目)は世界各地に赴いて撮影したたくさんのポートレートを、142センチ×178センチの大きな1枚の印画紙に1人ずつ重ねて焼き付ける。台湾のコスプレ少女、インドのヒンズー教徒、バングラデシュのムスリム女性などカテゴリーごとの現実の集積物は、等身大ほどの新たなポートレートととして像を結び、幾重もの瞳が発する強い視線、溶け合った背景は、多様な文化や社会の中に生きる多数の人々の存在を浮かび上がらせる。
春木麻衣子(2と3)は、作品名に「ポートレート」という言葉を入れているが、通常私たちが思い浮かべる肖像写真とはかけ離れたものを提示する。撮影時に露出を極端にアンダーまたはオーバーに設定することで、画面のほとんどの部分を黒く落としたり白く飛ばしたりし、目で見えていた情景にはあったはずの視覚的要素を削ぎ落としていく。この手法で春木は、写真とは人の何を写すのかを問い、見えたと思っていることと、見て認識することとは異なるのではないかと語りかける。
数千枚の写真のピースを巨大なキャンパスの上に一枚一枚地図に即して張り合わせて街を再構築する西野荘平(4)、ピンホールカメラの佐野陽一(5)、フォトグラムの添野和幸(6)−−各々の作品からも心地よい思索の時間が与えられる。
写真に刺激された思考回路は何を見るのか。明日同じ写真の前に立ったら、今日とは違った何かを見るようで胸が騒ぐ。
関連リンク;
東京写真美術館で開催中の「日本の新進作家 vol.10 写真の飛躍」
――編集部・片岡英子