Picture Power

軍事用カメラが捉えた難民のむき出しの生

INCOMING

Photographs by RICHARD MOSSE

軍事用カメラが捉えた難民のむき出しの生

INCOMING

Photographs by RICHARD MOSSE

大型車両にすずなりになっているのは、アフリカ各国からサハラ砂漠を越えて北を目指す難民たち

世界は今、第二次大戦以降で最大の難民危機の真っただ中にある。内戦から、迫害から、気候変動から逃れた何百万もの人々が、住む場所を追われ、過酷な旅を強いられている。

その姿を斬新な機材で記録したのが写真家リチャード・モス。熱放射で30.3キロ先の人体を感知できる軍事監視用の赤外線サーマルカメラを使っている。

最初にカメラを設置したのは、トルコ南東部キリス近郊の高台。地平線の先にはシリア北部の要衝アレッポが横たわる。肉眼では、立ち上る煙が見えるのみ。だがカメラを通すと全く違う世界が広がった。炎に包まれた建物、身を潜める兵士......。

モスはこのカメラで、ヨーロッパを目指す難民・移民がたどる2つの主要なルートを捉えた。

1つはシリアやイラク、アフガニスタンからトルコを通過し、エーゲ海を渡ってバルカン半島からドイツなどの豊かな国に向かう東のルート。もう1つはアフリカ各国から北を目指すルートだ。ギリシャのレスボス島、フランスの北部港町カレー、サハラ砂漠などが撮影地となった。

軍事用のこのカメラは、国境を越える場合には武器輸出の許可が必要で、移動も容易ではない。そのうえ重量は23キロにもなり、シャッターもレンズのフォーカスリングもダイヤルもない。撮影は困難を極めた。

レンズに映し出されたのは、非情なまでに美的な世界だ。モノクロの色調は輝き、人間の肌はその奥にある血流や体熱によってムラになる。「このカメラはある種の審美的暴力を備えている」と、モスは言う。

「対象から人間性を剥ぎ取り、人々を恐ろしいゾンビのように見せる。体から個性を奪い、人間を単なる生物学的な痕跡として描く」

それは、難民の大量流入に怯え、彼らを拒絶する欧米社会の視線にも共通するかもしれない。

撮影中、モスは忘れられない場面に出くわした。真夜中のサハラ砂漠でのこと。旅の途上の難民男性が、トラックから外に降り立った。暗闇の向こうにあるカメラなど気付きもせず、彼は用を足し、ボトルの水でイスラムの信仰に従って身を清めると祈り始めた(スライド2枚目の写真)。その顔には歓喜が浮かび、過酷な旅の恐怖も苦痛も、自我までも消え去っていくかに見えた。

生体の痕跡を無情に捉えた軍事用カメラは、国を追われた人々のむき出しの生を、見る者に突き付けてくる。


撮影:リチャード・モス
1980年アイルランド生まれ。米エール大学、英ロンドン大学などで美術や英文学を学ぶ。旧ユーゴスラビア、イラク、コンゴなどの紛争地、イラン、パキスタン、ハイチ、日本の災害など世界の複雑な問題や苦難を写し出す。著書に内戦が続いたコンゴを赤外線フィルムで撮影した写真集『INFRA』(米アパーチャー社刊)。本作は最新写真集『インカミング(Incoming)』(英マック社刊)からの抜粋

Photographs by Richard Mosse. Image from Incoming [2017], a book of still frames derived from Incoming, 2015-2016 - a three screen video installation by Richard Mosse in collaboration with Trevor Tweeten and Ben Frost. Courtesy of the artist and MACK; twelvebooks

<本誌2017年3月28日号掲載>


【お知らせ】

『TEN YEARS OF PICTURE POWER 写真の力』

PPbook.jpg本誌に連載中の写真で世界を伝える「Picture Power」が、お陰様で連載10年を迎え1冊の本になりました。厳選した傑作25作品と、10年間に掲載した全482本の記録です。

スタンリー・グリーン/ ゲイリー・ナイト/パオロ・ペレグリン/本城直季/マーカス・ブリースデール/カイ・ウィーデンホッファー/クリス・ホンドロス/新井 卓/ティム・ヘザーリントン/リチャード・モス/岡原功祐/ゲーリー・コロナド/アリクサンドラ・ファツィーナ/ジム・ゴールドバーグ/Q・サカマキ/東川哲也/シャノン・ジェンセン/マーティン・ローマー/ギヨーム・エルボ/ジェローム・ディレイ/アンドルー・テスタ/パオロ・ウッズ/レアケ・ポッセルト/ダイナ・リトブスキー/ガイ・マーチン

新聞、ラジオ、写真誌などでも取り上げていただき、好評発売中です。


MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 2
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「20歳若返る」日常の習慣
  • 3
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防衛隊」を創設...地球にぶつかる確率は?
  • 4
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 5
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 6
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 7
    祝賀ムードのロシアも、トランプに「見捨てられた」…
  • 8
    ウクライナの永世中立国化が現実的かつ唯一の和平案だ
  • 9
    1月を最後に「戦場から消えた」北朝鮮兵たち...ロシ…
  • 10
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 1
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 2
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だった...スーパーエイジャーに学ぶ「長寿体質」
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 5
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 6
    【徹底解説】米国際開発庁(USAID)とは? 設立背景…
  • 7
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパー…
  • 8
    イスラム×パンク──社会派コメディ『絶叫パンクス レ…
  • 9
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 10
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 9
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中