コラム

アメリカ本土を戦場化する苛烈なメキシコ麻薬「戦争」

2016年03月22日(火)16時00分

麻薬ビジネスが巨大化し、不法移民、殺人、誘拐・・が深刻化するアメリカ-メキシコ国境。 PHOTO:Richard Foreman Jr. SMPSP

 『灼熱の魂』や『プリズナーズ』で独自の世界を切り拓いてきたカナダの異才ドゥニ・ヴィルヌーヴが、新作の題材に選んだのは、アメリカとメキシコの国境地帯における麻薬戦争だ。

 新作『ボーダーライン』の物語は、誘拐事件を扱うFBI捜査官ケイト・メイサー率いる捜索班が、アリゾナ州の郊外に建つ家屋に突入するところから始まる。その建物はメキシコの麻薬組織ソノラ・カルテルの最高幹部の所有物で、壁のなかには数十体の腐乱死体が隠されていた。その日のうちに会議室に呼び出されたケイトは、上司に推薦され、特別捜査官マット・グレイヴァー率いる特殊チームに加わることになる。その目的は最高幹部の追跡とソノラ・カルテルの壊滅だと伝えられるが――。

 ジャーナリストのヨアン・グリロが書いたノンフィクション『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』や、フォトジャーナリストのシャウル・シュワルツが手がけたドキュメンタリー映画『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』などで浮き彫りにされているように、武装殺人集団に変貌を遂げた麻薬カルテルをめぐる麻薬戦争は、メキシコという国家の基盤を揺るがしかねない大きな問題になっている。

善悪の境界が揺らぐ、まさに「戦争」

 『ボーダーライン』にもそんな現実が描き出される。たとえば、特殊チームがテキサス州エルパソから国境を隔てて目と鼻の先にあるシウダー・フアレスに移動し、カルテルの幹部の身柄を引き取って戻る場面だ。2011年にシウダー・フアレスでは3千件以上の殺人があったのに対して、エルパソではたった5件だったという。

 この映画でも特殊チームがシウダー・フアレス市内に入ると世界ががらりと変わる。高架下には見せしめのために惨たらしい死体が吊り下げられている。幹部を引き取ったあと、国境の手前で渋滞に巻き込まれた特殊チームは、襲撃を察知して素早く対応し、武装した男たちに銃弾を浴びせる。

 しかしこの映画は、麻薬戦争の現場を、生々しい臨場感を醸し出す映像でリアルに描き出すだけではない。ドラマで重要な位置を占めているのは、ケイトとマット、そして、麻薬カルテルに精通したコンサルタントという名目でチームに参加しているコロンビア人、アレハンドロという3者のコントラストだ。彼らはチームとして行動しているが、目の前の現実を同じように見ているわけではないし、目的も違う。

 ケイトは正義や法を代表している。麻薬戦争の実情に疎く、しかもミッションの具体的な内容を知らされないまま無法地帯に分け入る彼女は、法を逸脱した行動に対する抗議を繰り返すが、受け入れられず、善悪の境界が揺らいでいく。

 先述した『皆殺しのバラッド』に登場するシウダー・フアレスの警官たちは、麻薬カルテルの報復を恐れて黒い覆面を被って殺人事件の現場に出動していた。『ボーダーライン』には、マットの制止を振り切って不用意に監視カメラに顔をさらしたケイトが、麻薬カルテルのターゲットになるといった展開も盛り込まれている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB総裁ら、緩やかな利下げに前向き 「トランプ関

ビジネス

中国、保険会社に株式投資拡大を指示へ 株価支援策

ビジネス

不確実性高いがユーロ圏インフレは目標収束へ=スペイ

ビジネス

スイス中銀、必要ならマイナス金利や為替介入の用意=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの頭の中
特集:トランプの頭の中
2025年1月28日号(1/21発売)

いよいよ始まる第2次トランプ政権。再任大統領の行動原理と世界観を知る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの焼け野原
  • 3
    「バイデン...寝てる?」トランプ就任式で「スリーピー・ジョー」が居眠りか...動画で検証
  • 4
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
  • 5
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 6
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 7
    大統領令とは何か? 覆されることはあるのか、何で…
  • 8
    欧州だけでも「十分足りる」...トランプがウクライナ…
  • 9
    電子レンジは「バクテリアの温床」...どう掃除すれば…
  • 10
    世界第3位の経済大国...「前年比0.2%減」マイナス経…
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 5
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 9
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 10
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story