コラム

ロシアの苛烈な現実を描き、さらに神話の域へと掘り下げる映画

2015年10月16日(金)17時27分

『裁かれるは善人のみ』。ロシアの広大で荘厳なロケーションが、深淵で普遍的な物語を際立たせる

 ロシア映画界の異才アンドレイ・ズビャギンツェフにとって4作目の長編になる『裁かれるは善人のみ』では、辺境にある海辺の町を舞台に、ロシアの現実、そして神話的な世界が切り拓かれていく。

 自動車修理工場を営むコーリャは、若い後妻のリリア、先妻との間に生まれた息子ロマとともに住み慣れた家で暮らしている。ところが、1年後に選挙を控えた強欲な市長が、とある計画のため権力に物をいわせ、彼らの土地を買収しようと画策する。一族が代々暮らしてきた土地に強い愛着を持つコーリャは、モスクワから友人の弁護士ディーマを呼び寄せ、対抗しようとする。そのディーマは、市長の悪事の証拠をつかみ、彼に圧力をかけるが、強大な権力が牙を剥き、コーリャたちをどこまでも追いつめていく。

 強欲な市長の執務室の壁には、プーチン大統領のポートレイトが飾られている。ディーマが握る悪事の証拠に危機感を覚えた市長は、実力者の司祭に相談を持ちかける。その光景は、プーチン大統領とロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教との関係、政治と宗教の結びつきを連想させる。しかし、この映画の見所は、現代のロシアの政治や社会が反映されていることだけではない。


 ここで筆者が振り返っておきたいのは、ズビャギンツェフ監督が描き出してきた女性像だ。デビュー作の『父、帰る』では、12年間も消息不明だった父親がある日突然、妻子のもとに戻り、ふたりの息子を小旅行に連れ出し、大人になるための試練を与える。そんなドラマでは母親の影が薄い。2作目の『ヴェラの祈り』では、これまで仕事を優先してきた父親が、罪滅ぼしに妻子と田舎の家で過ごそうとする。だが、妻は彼に「妊娠したの、でもあなたの子じゃない」と告白し、それをきっかけに悲劇的な運命をたどっていく。3作目の『エレナの惑い』では、再婚した初老の資産家に従順に従うしかない元看護士が、前の結婚でもうけた無職の息子とその家族を助けるために大きな罪を犯す。

女性像を通してロシアの現代社会だけではなく、基層文化を掘り下げる

 神話へのこだわりを明言しているズビャギンツェフは、そうした女性像を通して現代社会だけではなく、基層文化を掘り下げてもいる。ロシア文化史の研究者ジョアンナ・ハッブズが『マザー・ロシア――ロシア文化と女性神話』で明らかにしているように、キリスト教化される以前のロシアでは、母なる大地としての女神が崇拝されていた。ズビャギンツェフは、「生命の木として表されるように、大地と水と植物の支配者」だった女神が、キリスト教化以後にどう変貌したのかを描いている。『ヴェラの祈り』で、生命の木を思わせる大木が強調され、妻の運命と結びつくように枯れ沢に水が満ちるのは偶然ではない。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

FBI長官解任報道、トランプ氏が否定 「素晴らしい

ビジネス

企業向けサービス価格10月は+2.7%、日中関係悪

ビジネス

アックマン氏、新ファンドとヘッジファンド運営会社を

ワールド

欧州議会、17億ドルのEU防衛産業向け投資計画を承
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ成長株へ転生できたのか
  • 3
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後悔しない人生後半のマネープラン
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    放置されていた、恐竜の「ゲロ」の化石...そこに眠っ…
  • 7
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    使っていたら変更を! 「使用頻度の高いパスワード」…
  • 10
    トランプの脅威から祖国を守るため、「環境派」の顔…
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 7
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 8
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 9
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 10
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 8
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story