コラム

重慶スキャンダルはどこまで広がる?

2012年04月20日(金)00時09分

 発売中のNewsweek日本版4月25日号のカバー特集は中国を揺るがす重慶スキャンダルについてリポートした『不安な中国』。本誌北京支局長メリンダ・リウ、豪シドニー・モーニング・ヘラルド紙とエイジ紙の北京特派員ジョン・ガーノー、在米中国人政治学者ミンシン・ペイという気鋭のチャイナウォッチャー3人が、今回の薄煕来失脚事件の背景や今後の展開を分析しています。特にガーノーの記事「温家宝の逆襲が物語る路線対立」は、30年間に及んだ温家宝首相と薄の確執を、温の「師匠」にあたる胡耀邦総書記の遺族の証言を基に再現しています。


 今からちょうど6年前のことだ。同僚と2人で台湾に出張取材しているとき、当時のニューズウィーク台北特派員に現地の女性記者を紹介された。6年も前の酒の席の話で、ほかにどんな会話をしたかほとんど記憶にないのだが、それでも彼女から聞いた「留学先で薄一波の孫と会ったことがある」という言葉は今も鮮明に覚えている。共産党の古参幹部の孫だからといっていばったところもなくて、むしろとても穏やかな人物だったわ。しゃべり方もとっても静かなの――と、彼女は「孫」の素行について教えてくれた。

 薄一波の子供は一連の政治スキャンダルで失脚した重慶市前トップ薄煕来1人でなく、また薄煕来にも前妻との間に子供がいる。だからこの「孫」がかつてはイギリス、現在はアメリカに留学し、数々の奇行を取りざたされている薄瓜瓜かどうか分からない。ただ彼女の印象は、「横暴」「腐敗」といった印象で語られがちないわゆる太子党のもう1つの側面を伝えている。

 重慶市副市長のアメリカ総領事館駆け込みで始まった薄煕来のスキャンダルは先週、薄の妻で弁護士の谷開来がイギリス人ビジネスマンを殺害した疑いで拘束されていることが公表され、新たな局面を迎えた。香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストが先日、軍中央が薄と軍高官の関係を調べるため、5つの調査班を重慶を管轄する成都軍区司令部に送り込んでいる、と伝えており、事件は中国のもうひとつの権力中枢である人民解放軍へと広がる気配も見せている。

 拡大し、複雑化する今回の事件を読み解くカギはどこにあるのだろうか。そのキーパーソンの1人が、温家宝首相であることは間違いない。任期最後となる記者会見で突如として文化大革命まで持ち出して薄を猛烈に批判し、鎮静化しつつあった今回のスキャンダルを政争へと変えたのは、ほかでもない温自身の政治改革への思いからだ。最高指導部内に同調者がいる気配はないが、その後は国有銀行解体論までぶち上げ、まさに孤軍奮闘の戦いを続けた。

 その一方で、温の改革者としての姿勢はこれまでずっと疑問視されてきた。国民から「庶民への親しげな姿勢は演技だ」と、「影帝(映画スター)」呼ばわりまでされたのは、遊説先の外国や外国メディアとの会見では改革の必要性を口にするものの、国内ではさっぱり実行する気配を見せなかったからだ。

 ただ温が会見でやり玉にあげたからといって、改革を阻んでいた「既得権益層」が薄や太子党だとは限らない。「唱紅歌(革命歌を歌おう)」キャンペーンのような派手な政治的パフォーマンスを繰り返してきた薄は、どちらかというと一匹狼的な存在で、最高指導部である党政治局常務委員会で彼を明確に支持したのは治安担当の周永康1人だとされる。一方、はっきりと改革の必要性を訴えているのも温1人。そういう意味では、9人で構成される最高指導部の大半は様子見を決め込んでいる、ともいえる。

 では、改革への動きを滞らせているのは誰なのか。法政大学の中国人政治学者、趙宏偉教授によれば、それは胡錦濤国家主席だ。「特に北京オリンピック後、事なかれ主義に走っている。中国の有識者の間では『まるで欲のない人』と映っている」と、趙教授は言う。「任期の終りも間近に迫った今、あえて混乱を避けようとしているようにも見える」

 今回のスキャンダルで、党中央は2月の米総領事館駆け込み事件直後に薄夫人がイギリス人殺害事件に関与していたという情報を把握していたはずだ。それでもただちに薄を処分せず、3月の全国人民代表大会に出席させたのは、「事なかれ主義」の何よりの発露のようにも見える。また3月の会見で、温は「党中央」や「胡錦濤同志」といった決まり文句を使わず、一貫して「私」という一人称で語り続けた。共産党指導者としては極めて異例で、胡への強い反発心をうかがわせる。

 いわゆる「重慶モデルvs広東モデル」「太子党vs共青団」といった今回のスキャンダルで取りざたされる路線闘争の底流にあるのは、89年の天安門事件以来くすぶってきた民主化や政治改革の是非をめぐる戦いだ。天安門事件以降、共産党は国民に経済的繁栄を提供することで民主化への欲求を抑え込んできた。しかし二桁の伸びを続けてきた経済成長も今や頭打ち。トレードオフの材料として経済成長を提供できなければ、国民はその代償として政治改革を共産党に求め始める可能性もある。

 今年秋にトップに就任する見込みの習近平は、バブル崩壊も懸念される微妙な経済運営に加え、政治改革という難題まで抱え込むことになった。もし「共産党有力幹部の刑事事件」まで明らかになれば――事なかれ主義ではとても乗り切れないだろう。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

退院のローマ教皇、一時は治療打ち切りも検討 担当医

ビジネス

シカゴ連銀総裁、1年後の金利低下見込む 不確実性も

ビジネス

インタビュー:ドル円は120円台が実力か、日本株長

ワールド

イラン通貨リアルが過去最安値、米政権との対立懸念
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 3
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取締役会はマスクCEOを辞めさせろ」
  • 4
    「トランプが変えた世界」を30年前に描いていた...あ…
  • 5
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 6
    トランプ批判で入国拒否も?...米空港で広がる「スマ…
  • 7
    「悪循環」中国の飲食店に大倒産時代が到来...デフレ…
  • 8
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 9
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 10
    老化を遅らせる食事法...細胞を大掃除する「断続的フ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    【クイズ】世界で2番目に「レアアース」の生産量が多…
  • 10
    古代ギリシャの沈没船から発見された世界最古の「コ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story