コラム

男でも女でもない「中性」容認の波紋

2010年03月21日(日)11時00分

 同性愛者の結婚や性同一性障害者の性別変更などさまざまな権利を勝ち取ってきた性的マイノリティーの戦いに、また新たな一ページが記された。3月中旬、シドニー在住の48歳の人物が、男性でも女性でもない「中性」であると公式に認められたのだ。
 
 イギリス生まれのノリー・メイ=ウィルビーは男の子として育ったが、28歳で性転換手術を受けて女性に。それでも、「女として扱われるほうがましだけど、女性という分類もしっくりこない」と感じたメイ=ウィルビーは、胸を大きくするホルモン剤の投与を中止し、「中性」として生きることを選択。イギリス当局に出生証明書の性別表記の変更を求めてていた。

 身体的特徴を精査しても「男女のどちらにも分類できない」という医師の判断が1月に出たことが後押しとなって、当局は出生証明書の変更を容認。これを受けて、メイ=ウェルビーが住むオーストラリア・ニューサウスウェールズ州当局は、メイ=ウェルビーに関するあらゆる公的書類で「性別を特定せず」(sex not specified)の表記を認める決定をした。

 この決定の影響は、メイ・ウェルビー個人にとどまらない。「男か女か」の二者択一に違和感を感じている人は大勢いる。同じような認定を受けるケースがオーストラリアで増えれば、「性別を特定せず」という第3の性が世界的に広がるかもしれない。すでにイギリスでは「性別を特定せず」の認定を求める訴訟が進行中で、この訴えに共感したイギリス人の欧州議会議員が、そうした人々の存在を法的に認知し、保護するよう欧州議会に提案している。

 世の中に「中性」の人が増えはじめると、ジェンダー論争や生命倫理の議論が再び燃え上がるだろうが、それ以外にも思わぬところ──たとえば英語の人称代名詞の使い方──にも影響を及ぼしそうだ。

 英語では文法の制約上、対象者が男性か女性かを明確にしなければならない場面が多く、特定の人物に関する話をhe/she、 his/herなどの人称代名詞を使わずに書くのはかなり難しい(日本語でも、「彼」「彼女」などを一度も使わずにこの記事を書くのは、意外と厄介だった)。

 では、どうするか。性別がわからない(または明記したくない)場合の表記をめぐっては長い歴史があり、he or she、 his or herなどと併記する方法、まとめてheで代用する方法(当然、フェミニストの強い反発があった)、単数でもtheyを使う方法など色々な工夫がされてきたが、どれも十分には定着していない。

 メイ=ウィルビーに関する記事をウェブ上で拾い読みしていると、zieやhirといった見慣れない単語をあちらこちらで見かける。これは、「ジェンダーフリー」な人称代名詞として編み出されたものの一つで、he/sheに相当する主格にはsie, zie, ze, zheなど、his/herに相当する所有格にはhir, zirなどがある。sieやhirには多少女性的なニュアンスを感じとる人もいるため(スペルがsheやherに似ているから)、最近は z で始まるバリエーションがやや優勢だとか。ちなみに、メイ=ウェルビー本人はzieを好んでいるらしい。

 もっとも、こうした表現が頻出するのは、性的マイノリティー向けのメディアフェミニスト系ブログオルタナティブ志向のオンライン雑誌などがほとんど。一方、大手メディアは名前を繰り返したり、the Briton(そのイギリス人)、the expat(その移住者) などの表現を使って、なんとか体裁を整えている。

 ジェンダーフリーな人称代名詞はいずれ、「正しい英語」として広く使われるようになるのだろうか。その広がり具合をみれば、メイ=ウィルビーのような「中性」の存在がどのくらい市民権を得るようになったかも推し量れそうだ。

編集部・井口景子

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イタリア、パラ大会でのロシア・ベラルーシ国旗使用容

ビジネス

ユーロ圏消費者信頼感指数、2月はマイナス12.2に

ビジネス

米12月貿易赤字703億ドルに拡大、25年モノの赤

ビジネス

米新規失業保険申請、2.3万件減の20.6万件 予
MAGAZINE
特集:ウクライナ戦争4年 苦境のロシア
特集:ウクライナ戦争4年 苦境のロシア
2026年2月24日号(2/17発売)

帰還兵の暴力、ドローンの攻撃、止まらないインフレ。国民は疲弊しプーチンの足元も揺らぐ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より日本の「100%就職率」を選ぶ若者たち
  • 2
    中道「大敗北」、最大の原因は「高市ブーム」ではなかった...繰り返される、米民主党と同じ過ち
  • 3
    IMF、日本政府に消費減税を避けるよう要請...「財政余地を狭め、財政リスクを高める」
  • 4
    海外(特に日本)移住したい中国人が増えている理由.…
  • 5
    ウクライナ戦争が180度変えた「軍事戦略」の在り方..…
  • 6
    カンボジア詐欺工場に「人身売買」されたアフリカ人…
  • 7
    「ヒンメルならそうした」...コスプレイヤーが消火活…
  • 8
    アイスホッケーの試合中に「銃撃事件」が発生...「混…
  • 9
    中国政府に転んだ「反逆のアーティスト」艾未未の正体
  • 10
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 1
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 2
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発される中国のスパイ、今度はギリシャで御用
  • 3
    【銘柄】マイクロソフトの株価が暴落...「AI懸念」でソフトウェア株総崩れの中、投資マネーの新潮流は?
  • 4
    「ヒンメルならそうした」...コスプレイヤーが消火活…
  • 5
    なぜ「あと1レップ」が筋肉を壊すのか...「高速パワ…
  • 6
    「目のやり場に困る...」アカデミー会場を席巻したス…
  • 7
    オートミール中心の食事がメタボ解消の特効薬に
  • 8
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 9
    川崎が「次世代都市モデルの世界的ベンチマーク」に─…
  • 10
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 6
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 7
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 8
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story