コラム

李禹煥「日本では侵入者、韓国では逃亡者」。マイノリティであることが作品に与えた力

2022年10月24日(月)11時30分
李禹煥

李禹煥美術館「出会いの間」(写真:山本糾)

<1968年に、後に「もの派」と呼ばれるアーティストたちと出会い、美術評論や作品が注目を集め始めた李禹煥。1971年にパリの国際展に参加したことを契機に、広い世界を見て回るなかで、自らの内側にあるアイデンティティへの気づきが彼の表現をさらにダイナミックなものにしていった>

李禹煥は、どのように現代アーティスト李禹煥となったか から続く。

欧州、そして世界へ

1968年頃から「もの派」が注目を集めるようになる一方で、「何も作らず、モノを持ってきて置くだけ」という嘲笑を含んだその呼称とともに、様々な窮屈さや強い風当たりも感じることになった李は、1971年のパリ青年ビエンナーレに、もの派のアーティストたちとともに参加し、初めて欧州に渡る。

当地におけるもの派の初の発表の場となった本展は、戦後、ニューヨークやロンドンなどに押されアートの中心地としての地位を失ったパリの復権を目指して、初代文化担当国務大臣アンドレ・マルローが創設したもので、ヴェネツィアやサンパウロ・ビエンナーレのように著名作家ではなく、若手に対象を限定して開催。その革新的な方向性は、国別展示という形式自体にも疑問を投げかけ、同年は一部、傾向別展示となっていた。

ここで、1960年代後半の世界的な社会改革運動の空気を背景に、作品制作と社会的現実を繋げることや素材の物理的実在性、空間との関係といった彫刻の基礎を捉え直すフランスの芸術運動「シュポール/シュルファス」、イタリアの「アルテ・ポーヴェラ」の作家たちと知りあったことや、帰りに寄ったアメリカでバーネット・ニューマンの回顧展をみたことは、その後の創作活動において大きな刺激となった。

徐々にパリやドイツのギャラリーなどでの展覧会の機会を得て、絵画シリーズ「点より」「線より」を発表する1973年以降、多摩美術大学で教鞭をとりながら、毎年渡欧。1977年にはドイツの大型国際展であるドクメンタにドローイングを出品、1978年にはデュッセルドルフやデンマークの美術館で個展も開催し、1980年代半ば頃からは、実に年の半分あるいは3分の2を欧州で過ごすようになる。

当初はドイツでの活動が多かった李だが、徐々にフランスでの活動が増え、パリにアトリエを構えるようになっていった。ドイツでの経験は、元々ドイツ哲学を学んでいたこともあり、アートにおける人文学的発想の重要性を確認することに繋がったが、パリはとにかく居心地がよかったという。

もちろん、料理やワインが美味しいといった意味だけではなく、日本とは異なり、元々異邦人が多く集まり、マルローの掲げた「エコール・ド・パリの再興」が同地で活躍する内外の芸術家を対象としているように、国籍や言語の習得度に関係なく、様々な作家を受け入れてきた土壌も関係しているだろう。

異質な他者を取り込むことで文化の多様性や奥深さ、強度を内包させていく当地の文化政策の在りようと、李の制作に対する考え方は、どこか通じるものを感じさせなくもない。

プロフィール

三木あき子

キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story