コラム

安倍首相「マクロ経済スライド」連呼で墓穴? 年金を減らす仕組みの実情

2019年07月02日(火)14時05分

年金を減らすと、確実に生活保護費が増加する

安倍氏がどういうつもりで、このキーワードを連呼したのか、何とも分かりかねる部分があるのだが、マクロ経済スライドを強調する安倍氏の答弁を整理すると「これから年金はどんどん減らしていくので制度自体が破綻することはない」と説明していると解釈せざるを得ない。

実際にその通りであり、政府としては、今後、段階的に年金の給付額を減らしていき、それによって財政のバランスを取るという算段だった。マクロ経済スライドは、多くの人に気付かれにくい形で、粛々と年金を減らせる仕組みなので、官僚組織にとってはもちろんのこと、有権者への説明義務に追われる政治家にとっても好都合であり、国民に対しては、あまりおおぴっらには説明してこなかったのが実状だ。

ところが今回の一件で、安倍氏がこの制度を力説する結果となり、状況は大きく変わってしまった。

年金2000万円問題に対する世の中の反応は真っ二つである。「政府に騙された」「政府は年金に責任を持つべきだ」といった意見がある一方で、「そもそも維持できない制度は意味がない」「高齢者の給付を減らすのは当然」といった意見も根強い。前者は高齢者に多く、後者は現役世代に多いという印象なので、一種の世代間論争の様相を呈している。

主観を交えず、状況を冷静に分析した場合、現役世代から極めて高額な保険料を徴収するか、大増税(あるいは国債の永続的な大量発行)を実施しない限り、現在の年金水準を維持することは不可能である。年金制度を維持可能なものにするためには、将来の年金減額はほぼ必至といってよいだろう。

だが、年金を減らしてしまえば、それで問題は解決するのかというとそうはいかない。現時点における年金受給者の6割近くが年間150万円以下の金額しか年金をもらっていない。この状況で受給者への給付を削減すると、生活に困窮する人が続出してしまい、生活保護費の増大を招くことはほぼ確実である。

どこかで抜本的な対策が必要となる

2019年3月時点で生活保護を受けている人は約210万人だが、このうち55%が高齢者世帯となっている。つまり病気やケガなど不幸にして働けなくなった人を除くと、生活保護は限りなく高齢者ケアの制度に近い。

国民年金のみに加入している自営業者(フリーランス)の場合、支払う保険料は少ないが、受け取る年金の額も少なく、現時点では毎月6万5000円しか給付されない。この金額だけで生活するのは難しいので、現実には、労働を継続するか、貯蓄を取り崩す必要がある。だが体が思うように動かなくなったり、貯蓄が尽きてしまうと、一部の人はたちまち生活が困窮してしまう。今後、年金の減額が継続的に行われた場合、高齢者による生活保護の申請は確実に増加するだろう。

この問題が顕在化するまでには、多少の時間的猶予があるため、政府としては、徐々に年金の減額を進め、その間に貧困問題について手を打つという算段だった。だが今回の一件で、この目算は狂った可能性が高く、政府は早晩、貧困対策について何らかの方向性を打ち出す必要に迫られるだろう。

一方で、年金の減額を遅らせる、あるいはストップするという、大判振る舞いの方向に世論が流れる可能性もある。だが、現時点においても年金財政は大幅な赤字であり、不足分は税金から補填している。もし年金の減額を実施しない場合、税金からの補填を増やさない限り、財政は一気に悪化してしまう。

プロフィール

加谷珪一

経済評論家。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当する。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は金融、経済、ビジネス、ITなどの分野で執筆活動を行う。億単位の資産を運用する個人投資家でもある。
『お金持ちの教科書』 『大金持ちの教科書』(いずれもCCCメディアハウス)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)など著書多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ガザ南部、医療機関向け燃料あと3日で枯渇 WHOが

ワールド

米、対イスラエル弾薬供給一時停止 ラファ侵攻計画踏

ビジネス

米経済の減速必要、インフレ率2%回帰に向け=ボスト

ワールド

中国国家主席、セルビアと「共通の未来」 東欧と関係
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    習近平が5年ぶり欧州訪問も「地政学的な緊張」は増すばかり

  • 4

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 5

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    迫り来る「巨大竜巻」から逃げる家族が奇跡的に救出…

  • 8

    イギリスの不法入国者「ルワンダ強制移送計画」に非…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 8

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 9

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 10

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story